2024年12月22日(日)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年11月22日

「けが」期間中、人事案練った習近平

 ちょうど北戴河で固まった人事案の見直しという異例の事態に陥った9月初め、習近平は「水泳の際に背中にけがを負った」という理由で、2週間にわたり公の場から姿を消した。

 筆者は「肝臓の病気」という未確認情報も得たが、習の家族に近い関係者は「水面下で胡錦濤主席と人事の調整をしていた」と明かした。

 この時期、党内はかなりの緊張感に包まれていたことは間違いない。一つは、再調整を迫られた人事が固まらなかったこと。もう一つは、薄熙来をめぐる処分がまだ紛糾していたこと。さらに日本政府の尖閣諸島国有化という問題が降り掛かり、大規模な反日デモが各地で発生した。こういう中で、10月15日から予定していた共産党大会の日程も、本来なら8月末の政治局会議を経て公表するのが恒例だったが、政治局常務委員の外遊も重なり、公表できない異例の事態に陥った。

習なしに進まない党大会準備

 党大会後の11月20日に国営新華社通信を通じて公表された「党的十八大報告誕生記」によると、「十八大報告」つまり胡錦濤が党大会開幕で読み上げる中央委員会報告(政治報告)の作成に向け、1月に政治局常務委の決定に基づき、習近平を組長、李克強と劉雲山を副組長とする「起草チーム」が立ち上がったという。大詰めを迎えた8月27日~9月4日、胡錦濤は中南海懐仁堂に地方・軍などの幹部を呼び、計7回にわたる座談会を開催し、政治報告への意見を求めている。

 一方、校長を務める幹部養成機関「中央党校」(北京市)で9月1日に行われた秋季学期開学式を最後に、習は姿を消した。5日にはクリントン米国務長官らとの会談もドタキャンした。8月末から9月初めの座談会は何もなければ、組長の習も同席するのが当然だが、新華社報道には習の名前はない。ただこの時期、何らかのけがか病気を抱えても、習なしには党大会に向けた準備は進まず、病院にこもり続けた、ということは普通考えられない。このため「水面下の人事調整」という情報はかなり確度の高いものとみられる。

フェラーリ事件で左遷された令計画

 さらに9月1日、国営新華社通信は重大人事を発表する。胡錦濤の最側近・令計画党中央弁公庁主任が、「格下」とされる党中央統一戦線工作部長に異動し、新たな中央弁公庁主任として、80年代に河北省で習と一緒に県書記を務めた栗戦書・元貴州省党委書記を任命したのだ。

 一時は政治局入りが確実と言われた令の左遷人事の裏にはついて太子党元幹部は明かす。


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