李克強と王岐山の微妙な関係
8月末までにいったん固まった人事案はこうだった。
習近平▽李克強▽張徳江▽王岐山▽劉雲山▽張高麗▽李源潮
2003年春の新型肺炎(SARS)大流行の際、情報隠しで更迭された北京市長の後任となった王岐山は、パニックに陥った首都を安定に導いた。世紀のイベント・北京五輪の準備も滞りなく進め、副首相としては08年秋以降の金融危機を大規模財政出動で乗り切った。「消防隊長」の異名を持つのはそのためで、国務院幹部も、危機管理に弱いとされた李克強に比べ、「王岐山の方が総理にふさわしい」と言い切った。
当初、王に関して経済政策を統括する常務副首相(政治局常務委員)に就任するとの見方が有力だった。しかし李克強の首相就任を固めていた胡錦濤と温家宝に対して「李と王は経済政策をめぐる考え方が違い、首相・常務副首相でコンビを組ませるのはまずい」(中国政府関係者)という声が出たという。その結果、王は序列が4位と常務副首相より高い政協主席に就くことで折り合いがいったんは着いた。
「天安門」理由にケチ付けた李鵬
また胡錦濤は当初、李源潮を政治局常務委員兼国家副主席に起用しようとしたが、ここでも慎重論が出て中央規律検査委書記への就任で落ち着くかに見えた。李は党中央組織部長として習近平国家副主席を補佐し、安定した仕事ぶりを見せていたからだ。
しかしいったん固まった人事案に次々と「ケチ」が付けられた。声を挙げた一人が李鵬元首相だった。ターゲットは李源潮だった。
「李源潮は89年の『六四』(天安門事件)の際、共青団幹部として断固とした対応を取らなかった」。こう批判した。江沢民も同調したとみられる。李や汪洋が最高指導部入りすれば、温家宝が提起した天安門事件の再評価が進む、と懸念を抱く長老がいたと言われている。
その結果、江は兪を押し込もうとした。兪と劉雲山をめぐる環境は微妙だったからだ。
下馬評高くなかった劉雲山
2人とも2002年から既に2期10年、既に政治局員を務めていた。政治局員を3期できないという内規があるとされ、もし政治局常務委員に昇進できなければ、引退に追い込まれる可能性があった。