厳しい国家財政の下、公務員の人件費は年々抑制されてきましたが、情報公開やパブリックコメントなどの導入で業務量は増える一方。「国家に奉仕したい」と期待を膨ませた若き官僚を待ち受けるのは、調整や議事録作成などに忙殺される毎日です。
さらに「国会待機」や「質問主意書」が官僚を疲弊させています。居酒屋タクシー事件では、タクシー利用実績の調査のために、全省庁で大幅な残業がなされ、しかしさすがにタクシーには乗れないから省内に宿泊するという、なんとも皮肉な事象が発生しました。
「外国と比べて官僚の仕事が多いのは、マルセイ対策があるから」とは某省課長の弁。この「マルセイ」とは、政治家などへの政治的な根回しのこと。その割合は「課長クラスで全仕事量の1割、審議官クラスで5割、局長クラスで7割程度」に達するというから、驚くほかありません。
米国では1人で100名近くの政策秘書を抱える議員もいるくらい、議員スタッフが充実しています。日本ではこうした役割の多くを官僚が担っています。与党間の調整役として局長が奔走することも珍しくなく、取材のなかでは、政党のマニフェスト作りにまで官僚が関与しているとの声すら聞こえてきました。日本の「政」と「官」の役割分担はこれほどまでに不明確です。
今の政治家に任せて大丈夫?
「公務員制度改革の前に政治改革が必要だ」。野中尚人・学習院大学法学部教授はこう指摘します。
公務員制度改革の基本的な哲学は、“政治主導”ですが、そもそも議院内閣制のわが国においては、政治主導は当たり前であり、政治家が政策を立て、有権者に政策を問い、当選すれば覚悟を持って政策を遂行するというのがあるべき姿です。
残念ながら現状は「官僚内閣制」と揶揄されるように、政治主導ではありません。ですが、「官僚のほうが力があるから、官僚の力を殺いでしまえ」という前に、「力のない政治家のほうが問題だ」という声が出てこないのは不思議です。
実は、この政治主導の議論は今に始まったことではありません。自由党党首だった小沢一郎氏が構想を唱え、英国型・政治主導内閣を志向して2001年に実現させた副大臣・政務官制度がいい例でしょう。官僚が国会で答弁する政府委員制度を廃止し、政治主導を実現する仕組みとして期待されたが、成果はあったでしょうか。