しかしこの悪名高い「天下り」、単に“禁止”さえすれば事足りるのでしょうか。
制度化されていない慣例とはいえ、官房が全員の面倒をみることで、官僚の安定性や中立性が担保されてきたのは事実です。天下り根絶は、官僚たちが、自分で自分の処遇を獲得しなければならなくなることを意味します。冒頭のコメントにみられるように、競争から脱落した過半の官僚たちが、よりよい処遇を求めて切磋琢磨する状況は果たして望ましいのでしょうか。
現在の公務員法ではよっぽどのことがない限り「降格」が認められていないため、一度局長になってしまえば、審議官には落とせないし、給料も下げられません。その状態のまま政治任用化が進んで、いったんは政治家に重用された官僚が政権交代のたびに次々と放り出されていけばどうなるでしょうか。
天下りは根絶されているし、出世にかかわらず一定の処遇を補償する仕組みもないとすれば、省内にやる気を失った中堅層が大勢滞留し、組織がよどんでいくのは明らかでしょう。
破壊だけでなくシステム再構築を
「内閣に国家戦略スタッフ30人、各省に政務スタッフ5人程度、大胆に民間登用」という方針は見た目は良いですが、これは官僚の世界で頑張るより、うまく民間から登用されたほうが出世できるということを意味しています。米国のウォール街や軍需産業の例を引くまでもなく、特定業界の専門家がロビーイングまがいに行政を牛耳ることの怖さは考えておくべきではないでしょうか。
日本では、人事院が級別定数(ポスト別の人数)を、行政管理局が組織定員(省庁別の人数)をがっちり管理してきたため、諸外国に比べてかなりコンパクトな人員規模になっています。人事院の勧告制度で、給与も民間や諸外国より安く抑えられてきました。年金も、他の先進国の半分ほどしかありません。それなりに効率の良い政府を作ってきたと評価することもできるわけです。
たしかに、天下りと特殊法人の結託による不透明な行政慣行や、6回も7回も「渡り」を続け、80歳近くまで天下りを続けた元官僚の存在など、官僚の側にもやりすぎがあったのは確かです。しかし一方で、天下りシステムで生涯賃金をバランスさせてきたのも事実でしょう。
システムを破壊するだけで再構築しないというのは無責任以外の何物でもありません。慶應義塾大学の清家篤教授はこう指摘します。「労働市場のなかで、優秀な人を採用し、国家に奉仕するプロに育て、能力を十分に発揮してもらうためには、国民はそれ相応のコストを負担する必要がある。敬意と感謝の念を示してやる気を高めるのが人事の上策である」。
その他、「幹部公務員人事の一元化」や「労働基本権付与」といった方針にも大きなデメリットがあります。いまこそ国民が公務員制度改革に関心を払うべき時ではないかと思います。
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