アーキテクチャも捉え方によっては権力と呼べる。例えば、大手通販サイトアマゾン(amazon.co.jp)のレコメンド機能を読者はご存知だろうか。アマゾンで書籍を購入すると、同じ商品を購入したユーザーが他に買ったものや、ユーザーの購入履歴から、ユーザーの好みに合った商品をオススメしてくれるというものだ。その操作はコンピュータがログから自動的に選別してくれる。
ユーザーはこの機能によって、自分の好みのモノを容易に求められるようになる。もちろんユーザーは自身の判断によって商品を購入する。だが、その自己決定に至るプロセスにはレコメンド機能というアーキテクチャが介入しており、レコメンドされたものを購入する確率が自然と高くなる。このようにアーキテクチャとは、自己決定を促進するためのツールであると同時に、論理的にはそうした個人の好みにある程度介入することが可能となる。
他にもフォースクエア(foursquare)という、自らの位置情報を他者と共有するアプリケーションもある。ただフォースクエアは位置情報を共有するだけでなく、スマートフォンで訪問した店舗にチェックイン(自分の居場所を知らせる)することで、専用のクーポンを受け取ることもできる。人々のつながりを楽しむためのフォースクエアだが、位置情報データやクーポンを用いることで、人々の行動に何らかの影響を与えることも可能となる。
意識せずとも人々の意志に介入しやすい
このようにネット上のログ情報(買い物や健康、位置情報)を持つ企業や団体は、それらを基に特定の商品や政治的主張等、あらゆる情報を個人に与えることが可能である。それらは個人が望むものに近いものでありながら、知らず知らずのうちに、オススメされるものに興味関心を変更させる力がある。
アメリカの法学者ローレンス・レッシグ(1961~)は、人間をコントロールする手段を(1)法(2)市場(3)規範(4)アーキテクチャに分類した。法は言うまでもないが、人は何かの準拠枠組みに依拠しながら自己決定=選択する。その際にアーキテクチャ型権力は、アマゾンのリコメンド機能のように、その存在が限りなく意識に上がりづらく、意識せずとも人々の意志に介入することが可能である。つまりアーキテクチャ型の権力とは、規律権力のように仕方なく人を従属させるものではなく、人の意識に上がらないような、微細な設計によって人々の意志に介入する権力である。