2024年12月22日(日)

サイバー空間の権力論

2013年6月11日

 前回はアノニマスの活動と、サイバー空間における国際法制定が如何に困難であるかを論じた(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2802を参照)。前回の連載で重要な点は、サイバー空間の諸技術が、人をアノニマスの活動に駆り立てるということであった。技術や制度があればこそ、人はそれまで自分が思ってもみなかった活動が実行可能であることに気づく。このことは逆にいえば、我々は自分が思うほどには自らの主体性や意志に敏感ではない、ということだ。

 そこで今回は、サイバー空間において人をある意志や選択へ導く技術を、権力の問題を通して考察する。

実行までにコストがかかる“古典的”な権力

 部下に命令して書類を作成させる。生徒に命令して宿題を課す。これら日常的な出来事として権力が上司から部下、先生から生徒へ行使されていることがわかる。アメリカの政治学者ロバート・A・ダール(1915~)は権力を次のように定義した。すなわち「AがBに対して、さもなければBがしないような何かをさせるかぎりにおいて、AはBに対して権力を有する」である。「放っておけばそうしなかった行為(意図せざる行為)」、つまり嫌な行為を敢えて実行させるために発動するものを、ここでは権力と呼ぼう。誰だって書類作成や宿題は嫌だろう。

 もちろん部下や生徒はそうした要求を受け入れる。そうでなければ社会生活は成立しないからだ。だがそれは、「企業や学校内」に限定された話であり、一歩会社や学校を出てしまえば、部下や生徒が命令に従う義務はない。

 ところでこの二者関係の権力構造においては、権力は相手の嫌がることを直接指示するため、命令者も被命令者もストレスを感じ互いの仲が悪くなったりと、何かと実行までにかかるコストが高い。だとすれば権力はより巧妙に、相手に嫌だと思わせず、知らず知らずのうちに被命令者が命令者の希望を実行すればよいのではないか。

権力の三類型

 では、二者関係にかかるコストを削減し、効率的に権力を実行させる(AがBにある行為を実行させる)には、どのような方法があるか。以下で区別をしてみたい。

 第一に、極端な話ではあるが、洗脳行為がある。オウム真理教も実践されていたとされるこの洗脳が一度完成すれば、いともたやすく相手を思うがままに操ることが可能であろう。近年ではプチカルトと呼ばれるように、教団や組織的活動として洗脳を行うのではなく、個人や限りなく少数の人々が個人に対して洗脳を行うことで、自らの利益を図ろうとすることがある。


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