2024年11月22日(金)

経済の常識 VS 政策の非常識

2013年7月30日

 もちろん、きれいごとだけでは制度は変更できない。制度を変えるということはその制度の下で暮らしている人々の利害に関わることである。利害に関わる制度変更は必然的に政治となり、政治である以上、利害対立を調整するフィクサーが必要となる。アメリカの局長以上は、忙しい利害関係者の時間を見つけて説得するフィクサーの仕事が中心になる。女性がフィクサーであっても構わないが、時間無限定の仕事になりやすく、家族を持った女性には向かないのだろう。

 本来、課長レベルまでは専門職で、フィクサーになる必要はないと思うが、日本では課長、または課長補佐までもがフィクサーになっている。しかし、そんなにたくさんのフィクサーは要らない。フィクサーの仕事をすれば、当然、専門性が低下する。例えば、失業手当、年金、生活保護は、いずれも人々の生活を保障するものだが、それらが整合的であるとは到底思われない。生活保護の給付水準は国民年金より高く、雇用保険はたまにしか失業しない正社員だけに適用されて、一定の基準に満たない非正規社員が失業すれば、すぐに生活に困ってしまう。まともに専門家として制度設計しているとは思えない。それは公務員が、個々の制度の利害の代理人になっているからだ。日本の役人は、専門家にもフィクサーにもなり切れていないということだ。

 役人が専門家ではなくフィクサーになりたがるのは、それが制度の利害関係者のバックアップを受けて昇進に結びつくからだろう。

 民間でも、役所と同じように成果を測ることが難しい仕事は多いが、本来専門家の仕事であるべきものをそうしていない場合も多い。正しい昇進が企業の存続にとって重要なら、国家の存続にとってはなおさら重要だろう。そのような仕事に就く労働者を、職務のはっきり定義できる本来の専門家の仕事に戻し、残業の多さではなく、成果で評価する仕組みとする。その結果、官民において専門家である女性の管理職が増えることで、日本の政策の質や企業の生産性を高めることができるかもしれない。

◆WEDGE2013年7月号より

 

 

 

 

 

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