2024年12月23日(月)

Wedge OPINION

2023年3月9日

 今の時代、「腹切り問答」といっても知っている人は少ないだろう。

 1937(昭和12)年1月、旧帝国議会の衆院本会議で、浜田国松議員と寺内寿一陸軍大臣との間で交わされた応酬だ。

 浜田が軍部の横暴を激しく糾弾したのに対し、陸相が「侮辱だ」と威嚇、浜田は「速記録を調べて、侮辱の言葉があれば割腹して謝す。なかったら君、割腹せよ」と迫った。

立憲民主党の小西議員(右端)と自民党の高市早苗議員(中央)の問答で「議員辞職」という言葉が簡単に飛び交った(時事)

 軍部の専横に対する政党人の最後の抵抗を象徴する事件であり、浜田にとっては身命を賭しての演説だった。

 それにくらべると、最近の高市早苗氏と野党議員の攻防は、どうだろう。議員の身分を政争の具として進退をいとも簡単に論じる――。攻める方も受ける方も、いかにも軽薄、浅はかに映る。

まさに命を懸けた舌戦

 1937(昭和12)年1月21日の衆院本会議で、政友会の長老・浜田は広田弘毅内閣の施策を質した。質問というよりは演説の趣だった。

 このやり取りは興味深いので、少し長いが速記録(昭和12年1月22日付け「官報」、国立国会図書館デジタルコレクション)から再現する。

 浜田は、広田首相が、そのスローガン「庶政一新」の実現に向けて健闘していることを評価、矛先を軍に向ける。「軍部の大臣が公開の席において、われらのもつ政治の推進力ということを公式に声明、政治の推進力をもって自任しておられる」と僭越ぶりを非難。

 そうした傾向が政治、経済、社会各方面に拡散、「五・一五事件」「二・二六事件」など軍部によるクーデターに発展したと指摘した。

 さらに、悪名高かった軍部大臣現役武官制にふれて「国民、政党の知らない間に昨年の特別議会のどさくさの間」に導入したとして、不当さをなじった。「軍服を着てサーベルをさして国民と対立、対照的に日本の政治をリードするのは憲法政治と矛盾する」、「複雑な政治に対して、軍部の推進力が頭を出すとことは政治上の弊害だ」として、軍人の政治関与に対してはことのほか語調を強めて論難した。浜田の舌鋒は鋭く、演説の速記録は官翌日付の官報で10ページにものぼった。

 浜田をにらみつけて答弁に立った寺内陸相は「いろいろのお言葉を承りますと、あるいは軍人に対していささか侮辱さるるようなお言葉を承ります」、「これはかえって浜田君の言う国民一致の精神をに反するのでご忠告申し上げるものです」と凄みをきかせた。

 恫喝にひるむ浜田ではない。

 逆に勢いを得て再登壇、「軍部を侮辱するの言辞があると仰せられたが、どこが侮辱しているか。国民代表者の私が国家の名誉ある軍隊を侮辱したという喧嘩を吹っ掛けられて後へ引けない。どの言辞が侮辱したか。事実をあげなさい」と迫った。

 寺内の「忠告」という言葉も癇に障ったようで、「年下のあなたから忠告されるようなことはしないつもりだ」と逆に寺内をたしなめた。 

 2度目に立った寺内は「私はそのようなことは言っていない。速記録をよくご覧ください」とかわそうとしたが浜田はおさまらず、3度目の登壇。「あなたも国家の公職者、不肖、浜田も公職者だ。民間市井のならず者のように論拠もなく不名誉を断ずることができるか。速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝する。なかったら君割腹せよ」と声を励まして詰め寄った。

 議長に対して、決着がつくまで、散会を宣告しないよう求め、徹底抗戦の構えを見せた。


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