2024年12月23日(月)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2023年3月6日

 政府が日本銀行の次期総裁に経済学者の植田和男氏を起用する人事案を国会に提示し、承認プロセスが進行中である。この審議に関しては、金融緩和を当面継続するかの判断、同時に、その後については何らかの出口戦略をショックなく打ち出す戦術、更には直近の3月決算への影響は避けたいという近視眼的な財界の思惑など、複雑な連立方程式がある。短期と同時に、中長期の日本経済の設計、すなわち「国家の大計」に関わる問題だ。

日本銀行総裁候補の植田和男氏(ロイター/アフロ)

 にもかかわらず、国会同意の前に人事が独り歩きするのが不愉快だなどと、メンツだけにこだわった野党には心底落胆させられた。と同時に、今回、植田氏が就任するとなると、経済学者出身の日銀総裁は戦後初めてとなるそうで、そのことにも驚きを禁じえない。

 考えてみれば、日本では、研究者(学者)が政府機関や経済分野の要職に抜擢されて、そのスキルや見解を実社会に役立てるということは、極めて例が少ない。専門分野について、長く研究を続けて、国際的な学会での発表や、高レベルな査読を受ける論文発表などで切磋琢磨してきた人材は、限りある日本の人材の中で間違いなく優秀なグループである。その人材力を、政府機関や企業といった現実社会で活用できないというのは、国家的な損失に違いない。どうして、こうなっているのだろうか。

相いれなかった学会と政財界のカルチャー

 1つの理由は、学界と政財界の間にカルチャーの相違があるということだ。日本の学界では、長年、左派系のカルチャーが強く根を張っていた。

 例えば、昭和の時代には著名な大学の経済学部では、マルクス主義経済学が幅を利かせていたということがある。そんな風土の延長として、学者たちが、大学と企業の共同研究のことを「産学共同」と名付けて罵倒したという悪しき伝統もある。

 そのために、「産学共同」という四字熟語にはネガティブなニュアンスが苔のようにこびりついており、現在は政財界も学界も「産学連携」と言い換えて「悪しき記憶」から逃げている始末だ。反対に、特に財界には狭義の利潤追求が態度として染み込んで「いない」研究畑の人材を、忌み嫌うカルチャーもある。

 そんなカルチャーのズレが長く続いた結果、利潤追求を穢れたもののように感じる学界と、博士号や著名大学の教授職に対して距離感を抱える政財界との間に水と油のような相違が定着することとなった。

 けれども、こうした愚かなカルチャー戦争について、さすがに21世紀に入って4分の1を経過しようという現代では、緩和されてきている。自由経済を侮蔑するような研究者も減ったし、財界や官界でも研究で鍛えられた頭脳への尊敬心は自然に表現されるようになってきた。

 にもかかわらず学者を要職に起用する動きは遅々として進まない。そこには別の理由があると考えられる。それは終身雇用と年功序列である。


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