<ひもじい思いから抜け出て、腹いっぱい食べ、さらにうまいものを食べる機会を持つまでに、一般の民衆はどれほど長い道を歩かねばならなかったかを反省してみることは、人間として重要な課題の一つではなかろうか。>
試みは中断したものの、本書に通底した宮本のこの視点は、大きな問題提起であろう。
時を越え、場所を越えて
宮本の驚きを共有する
なんといっても、各地をくまなく歩いた宮本ならではの、生き生きとしたエピソードと比較対照しながらの考察が面白い。
たとえば、10章「稲作の経営規模」。佐渡で「勤勉な百姓」に会った宮本は、よく働いてきて、周囲もそれを認めているのにどうしても貧乏から抜け出せない、どうしてだろうか、と相談を受けた。経営面積や耕地の分散状態などを聞き、4か所の田を見て歩いて、宮本は、「家を貧乏にさせているのはこの田ではないかと思い」、条件の悪い自作の田の耕作を放棄し、家に近いところで借地して小作することなどを勧めた。
1年後、行ってみると事情はずっと好転していた。
<小作することは搾取されることだと教えられて来たのであるが、生産力の低い自田を耕作するよりは生産力の高い借地を小作する方がずっとよかったのである。それは小作料の高かった戦前においても良田の小作の方が収益の率は大きかったのである。
ただこれが佐渡だけの話ならいろいろの考慮の余地がある。しかし全国各地をあるいて見ると早くからひらけていた山麓や丘陵地帯にほぼおなじような条件のあったことを見出す。>
このような過去と現在の対比、他の土地との対比に、「宮本学」の幅広さ、奥深さを感じる。
<昭和十年ごろ瀬戸内海沿岸の漁村をあるきはじめたとき、私の一ばんおどろかされたのは一つ一つの漁村の性格がみんなちがっているということであった。だから一つの漁村を見て、次の漁村をそれによって予測したり類推することはできなかった。>
宮本のそんな驚きを、読者もまるで自分が見聞したかのように、時を越え、場所を越えて共有する。私にとっては、少し前の日本なのに知らないことばかりであることが、いちばんの驚きであった。
語り継がれることなく忘れられる人びとの暮らしに、偏りのない光を当てた大きな仕事である。未完に終わったことがまことに惜しまれる。
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