チャイナ・ウォッチャーの視点

2013年8月26日

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 もちろん対馬は一貫して日本の一部であり、江戸時代も幕藩体制を構成した一藩だった。だがそんなこと、朝鮮王朝には関係ない。自分に朝貢していた事実が重要なのである。

 この朝貢という儀礼によって明示されるのが、いわゆる「華夷秩序」である。中国の歴代王朝はもとより、「小中華」を自任する朝鮮王朝も、堅く持してきたものだった。

 「天下」をひとつの身体の「頭」と「足」に見立てればよいだろうか。頭、つまり上位にあるものを「中華」とし、足つまり下位にあるものを「蛮夷」とする、階層的な世界観がそのベースにある。

 頭と足なので、これは生まれつき、自然にそなわっている上下関係であり、序列を決めるのに、理屈はいらない。そして頭と足は、厳然として別のものでありながら、それぞれ同じ身体の一部でもあるのだから、切り離されはしないし、また、どこからどこまでが頭で、どこからどこまでが足なのか、明確な境界もない。国境が不分明になってしまう。

 「華夷秩序」は原理的にそうした属性をそなえており、それを視覚的に示すのが礼である。15世紀から19世紀、明清時代に行われたその最も重要な儀礼の1つが、朝貢だった。

 そもそも儀礼とは、多分に形式・フィクションにほかならない。「儀礼的」という言葉さえある。日常生活でも、頭を下げたからといって、本当に屈服・従属しているわけではあるまい。朝貢で結ばれる関係も、実質の支配・従属を必ずしも伴わない、まさに儀礼的なものだった。朝鮮が清朝中国の支配を受けていたわけではないし、対馬も朝鮮に従属したことはない。だからこそ、むしろ互いの上・下という位置づけには敏感で、その意識・感覚は今なお、根強く続いている。

 この朝貢は20世紀の初めに消滅して、もはや存在しない。対馬も朝鮮も、朝貢が明示、表現する関係・秩序から離脱して久しいはずである。にもかかわらず、現代の問題につながるのには、それなりの理由がある。

 西洋の国際関係が東アジアに到来した19世紀の後半期に、関連する諸概念を「華夷秩序」で用いる漢語で翻訳したことが重要である。「属国」「藩属」というタームはその最たるもので、朝貢儀礼を行う国と、近代国際関係で主権を失って従属した存在とが、まったく同じ字面で表現された。

 朝鮮に即していえば、中国の「属国」というその地位は、実効支配を受けているのか、内政外交が自主の国なのかが判然とせず、日清戦争の一因となった。また戦後も、中国との国境がはっきりしなかったから、紛糾はたえなかった。現在の中国・延辺朝鮮族自治州にあたる地域・住民の帰属をめぐって、清韓・日中の間で対立した「間島(かんとう)問題」は、その代表的な事例である。

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