書きたい思いが、持ち上げることすら困難な筆を持たせるばかりか自在に動かす。思いが困難を可能にする。聞き流せば「凄いですね!」の感嘆符に精神論で終わってしまう。が、日本人が大好きな精神論で何でも解決するわけではない。強い思いを支え、身体の限界を超えさせるまでの拠り所が柿沼の中に確かに構築されているからこそ可能になる。
柿沼は型破りと評されることが多い。NHKの番組「趣味Do楽」の講師を務めた時のタイトルも「オレ流 書の冒険」。ただ、冒険は決して闇雲に突っ込んでいくものではない。
「まず型を吸う。徹底的に吸い込んでから型からはみ出す。そしてオレの心を吐き出す。基礎があるからはみ出すことができるわけ」
基礎とは、3500年に及ぶ書の歴史の篩いにかけられてなお生き続けている古典だという。型があってこそ型破りが可能になる。だから柿沼は、今でも、王義之(おうぎし)、顔真卿(がんしんけい)、空海などの手本を脇に置いての毎日5時間の臨書を自らに課していると聞いた。
「実際はもっとだね。1日12時間、13時間書いている時もあるから。筆を360度、全面を使って1万回以上手首を回すから、手首と下腕が鍛えられてます」
突き出した右腕の手首から下腕にかけて筋肉が盛り上がっている。破天荒といわれる柿沼の、ハンパを許さない真面目すぎる一面が凝縮されて皮膚の下にみなぎっているようだ。
師との出会い
柿沼が初めて筆を持ったのは5歳の時。父は書家の柿沼翠流。
「オヤジがでっかい筆で全身を使ってピカソみたいな字を書いているのを見て、すごくカッコいいと感じたんです」
父は体育の教師でもあった。
「体育会系で、練習しない者は勝てないというはっきりした主張をもってましたね。父の口癖は『康二よく聞け。普通のヤツは普通のことしかできないんだぞ』でした」
教え子から陸上日本一を3人も出した父は、尖った才能を徹底的に育てる人だったのだろう。そして、息子の中に尖った才能を確かに見ていた。だから16歳の柿沼を、昭和の三筆といわれ自らが師事する手島右卿に弟子入りさせようと試みた。