現代アートへの挑戦
普通、毎日賞を受賞すると日本で書家として書壇に足跡をしっかり刻むチャンスと考えるから、日本を離れたりはしない。同時に、書壇の重さの中で重々しく生きることにも繋がる。そんな重さに抵抗し、もっと軽やかに高く遠く羽ばたきたいという潜在的な思いが言葉になって飛び出し、言葉が柿沼の背を押した。
「一応日本一になったぜという気分だったんだけど、そんなことアメリカじゃ全く通じない。作品見せても、何だこりゃ? 誰だアンタは? って世界。引き籠るほど凹んだけれど、通じない英語で交渉して日本食レストランのギャラリーを借りて発表会をして、足跡だけ残して帰って来た。でもニューヨークで個の実感を確かに得た。書道ってグループっていうかムラっていうか、先生がいて弟子がいて、教えるということをベースにヒエラルキーが出来上がっている。“私”ではなく“私たち”の世界。ニューヨークはアートに寛大で、成功したら凄い、でも成功しなくてもいいじゃんって感じでアーティストがリスペクトされている。好きだからやっているでいいじゃないか。日本に帰って来た時、なんで言葉が通じる日本でやりたいことができなかったんだろうって思った。周囲から、変わったと言われました。もしニューヨークで過ごした一年がなかったら、業界を批判しながらその中で生きていたかも」
行き先がなぜニューヨークだったのか。おそらく無意識に解放を求めたのだろう。日本と対極の空気に身を置くことで、日本にいては見えにくい縛りやしがらみの正体が見えてくる。闘うべきものの姿と己の姿が見えてくれば、生きる世界が明確になる。自分は書の世界でアーティストとして生きると、心を定めた。
「自分のグルーヴ感とか表現法とか、ミュージシャンに近い気がする。筆を持って字を書くことで表現するわけだけど、僕の頭は字を考えていない。字を書いていることも忘れている。手が筆を持っているというより、自分が筆になっているというのかな。自分の中に渦巻く音を表現している感じなんです」
これから自分が書く字は、矢沢永吉かレッド・ツェッぺリンかデビッド・ボウイか……音楽を聴いて、そこからイメージを絞っていって筆を持つ。
「永ちゃんのつもりが、出てきたのが美空ひばりだったってこともある。それは自分の裏が出たってことで、自分の知らない自分が出てきちゃった。これは凄いことなんですよ。何日書いても何を書いても永ちゃんじゃ困っちゃう。自分の感性が一面化することだから」
作品を生み出す源泉は、自分の中の感性だという。蓄え続ける技術やテクニックを通して柿沼の感性が紙の上に現れる。