愛弟子の死の真相
さて、本書で初めて知ったこととして、50年9月1日、中田の愛弟子・原田慶吉が自宅で自殺した事件に関することがある。原田は著名なローマ法学者だったので、終戦後の厳しい時代は東大法学部教授でもローマ法のような研究をしていると貧乏で自殺をしなければならなかった、「浮世離れした」学問をやるのはよほどの決意がいるという話としてこの自殺話は知られていた。というのも、21日の新聞に「原田教授はなぜ自殺した?薄給と税金苦〝私は生きる力を失った〟」と題する記事が「部屋に残されたみかん箱の本ダナ」の写真付きで掲載されていたからである。
実際は、原田が47年1月、東京の本郷三丁目付近でジープに乗った進駐軍兵士にスイス製時計を奪われ、ピストルの台尻で頭を強打され頭蓋骨陥没で東大病院に入院、その時の脳挫傷の後遺症と持病悪化で研究が困難になったことが真の原因だったという。占領中だったため、こうした事件はプレスコードで揉み消されたのである。
原田は脳挫傷事件の後も悲壮な姿で、『ローマ法』上・下、『楔形文字法の研究』『ローマ法の原理』をまとめている。
妻らは事実とかけ離れた報道に憤って、税金は漏らさず納めていたし、写真は記者が勝手に段ボールのおもちゃ箱に詰め込んだものだと抗議し『婦人公論』に寄稿をしたが、周辺から自重を勧められ、結局真実を書くことができたのは56年であったという。
しかし、真実は広まっておらず、占領軍と新聞の誤報道によって伝わらなかったわけで、ほかにもこのようなことが多いのではないかと考えさせられた。
以上、本書はなじみやすいエピソードに満ちた近代日本の大学者の稀に見る傑作評伝である。