2024年12月22日(日)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2024年3月15日

 日本の場合も、特に70年代には当時の国鉄をはじめ、民鉄を含めた交通機関のストが繰り返し行われた。その方法は、乗客の利便性を奪う悪質なもので、労働組合に対する社会的な信頼は失われた。

 国全体が高度成長期に差し掛かる中で、国鉄の組合員などが自分たちの生活の向上を訴えたことには正当性があるが、賃上げの原資となるべき運賃値上げに反対したり、先端技術の導入による合理化にも抵抗するなど、全体としての功罪については厳しい評価がされて然るべきである。

 最大の問題は、戦争直後から70年代までの日本の組合というのは、ソ連などの社会主義国と政治的連携をしていたことだ。西側の核兵器は悪だが、社会主義国の核兵器は善だなどという強引な主張があったり、中には日本も社会主義化してソ連の独裁体制の傘下に入るべきだなどという一派もあった。

 これでは、世論の理解を得ることはできない。やがて、日本経済が豊かになり、その成果を活かす中での幸福追求が国民の目標になるにつれて、日本の労働組合は弱体化していった。そこには宿命的なものがあるのは事実だ。

止められたはずの給食の突然の廃業

 そうではあるのだが、経済合理性の枠組みの中で、とかく弱い立場に置かれがちな労働者が、基本的人権の一つである労働者の権利を行使して、均衡点を求めるという行動は、自由経済を補完し、活力を維持するためには必要だ。

 例えば、経済が衰退する中で、ブラック企業が横行し、その結果として過労死したり、うつを発症する労働者が激増している。そのような企業は、現在は人手不足の中で経営が行き詰まるケースも多いだろう。そんな事態になる前に、法律で保証された当然の権利を主張して労働者が声を上げていれば、全員が不幸になる事態は避けられたはずだ。

 近年、学校や学生寮の給食サービスを引き受けている企業が廃業するなどというニュースがでてきている。材料高の中で、値上げもできずに静かに行き詰まったのだという。こうした問題もまず労働者が声を上げ、例えば「1日給食ストライキ」などを決行して窮状を社会に訴えることができたなら、静かに全員が不幸になることもなかったのではないか。

 非正規雇用の問題も、シングルマザー家庭の困窮といった問題も、社会の健全性という観点からは明らかにおかしい。つまり困窮者には正義があるのであって、ならば困窮者自身が正当な権利である団結交渉権などを使って、問題を「あるべき姿」に是正してゆくべきだ。


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