兼原 お二人の話に全く同感だ。企業に加えて政府もいまひとつピンときていないように感じる。特に気になるのは、SCに対する認識が「海外で商売するために必要な制度」という狭い認識にとどまっており、国家安全保障という高次の目的につながっていないことだ。
科学技術開発と安全保障は一体であり、そこにさまざまなプレイヤー(企業、科学者、研究者など)が参加する。その中に悪意を持ったスパイがいたら困るから、SC制度をもとに身体検査をするのである。産業界はSCがないことによる経済的損失を憂慮し、その話ばかりを先行させる傾向があるが、それはあくまで「副次的な」効果なのである。
どうしてこうなるのか。単刀直入に言えば、日本は敗戦国であり、他の国とは形の異なる〝異様な国〟になっているということがある。日本という国の〝脊髄〟には二つの大きな傷があるのだ。
一つはGHQ(連合国軍総司令部)によるものだ。例えば、戦前は海軍軍人の平賀譲が東京帝国大学の総長であったことが象徴するように、産官学の全てが軍事、すなわち「安全保障」に結び付いていた。それがGHQによって軍事色を完全に脱色された。大学は〝左傾化〟し、産業界はレピュテーションコストを気にして「軍事」を遠ざけ、霞が関も外務・防衛・警察以外の省庁からは、軍事的リテラシーが欠落した。
現実世界では世界のあらゆる地域で紛争や戦争が起こり続けていたにもかかわらず、日本の中枢には現実から遊離した〝桃源郷〟のようなメンタリティーができてしまったのである。
最先端の科学技術は全て安全保障に結び付くというのが〝普通の国〟の常識だ。そこに巨額の資金や人材が惜しみなく投じられる。つまり、産官学が全て「国を守り、国民の生命・財産を守る」という国家の生存本能につながっている。
ロシア・ウクライナ戦争で実際に兵器として活用されているドローンも、「モビリティー」という広い意味で捉えれば自動車と何ら変わらない。日本の産業界もようやく自分たちが〝桃源郷〟にいたことを認識してきており、これは良いことだといえる。
もう一つの傷は、自民党と旧社会党が激突した55年体制下で旧ソ連の影響力が浸透し、日米同盟を支持した勢力とソ連の主張を代弁した勢力の存在により、実質的に国論が二分しているということだ。同盟強化や防衛力増強には、常に左派から激しい反発が出た。
特に、日本が強かった科学技術でアメリカと軍事研究が進むことに対して左派勢力は神経を尖らせた。日本学術会議に代表されるアカデミアはイデオロギー的に左傾化が進んでおり、いまだに安全保障に対して強い拒否感がある。つまり、戦後80年近くの長きにわたり、日本の安保観は歪んだままなのである。
SC制度を整備する西側諸国が念頭に置いているのは「中国」「ロシア」「北朝鮮」などの国で、そうした国々とつながっていないかどうかを家族も含めて徹底的に調べている。パスポートや預金通帳はもちろん、借金の有無、酒、異性関係、ドラッグの遍歴など、「弱み」として付け込まれる余地がないかを全てチェックするのが基本だ。その究極の目的は、「いかにして国を守るか」ということに尽きる。
元内閣官房副長官補、元国家安全保障局次長 同志社大学特別客員教授。
東京大学法学部卒、1981年外務省入省。フランス国立行政学院(ENA)での研修後、ブリュッセルやワシントンなどで在外勤務。2012年に内閣官房副長官補に就任後、14年より国家安全保障局次長を兼務。19年に退官。著書に『安全保障戦略』(日本経済新聞出版)など多数。
「経済安全保障」は世界では不思議な概念
手塚 アメリカの審査は厳格だ。申請のための手続きは集中して取り組んでも2時間以上は要するし、調査を専門に行う人が約7000人いて、まさに徹底的に調査される。当然だが、嘘をつけば厳罰が下る。リストに自己申告でチェックをつけていくだけの日本とはレベルが違う。それくらいこのSCを重視しているのだ。
それから、海外の人と議論すると、「経済安全保障」という概念を不思議に感じる人が多い。なぜなら、彼らにとっては「国家安全保障」が最上位の概念であり、その中に「経済」「エネルギー」「食料」などがサブ項目として位置付けられているからだ。
一方、日本では「国家安全保障」という言葉からすぐに「軍事」が連想されて大騒ぎになるため、知恵を絞って「経済安全保障」という言葉をつくったと私は理解しているが、海外にはそうした考え方自体が存在せず、その意味では確かに〝異様な国〟である。