――つまり、「脳死判定がいま社会的に問題になっていて、学問的にも意義深いトピックスだ」という前提がない人にも、その意義が伝わるように一から文脈を作っていくということですよね。その過程で登場する本書のキーワードが、「再帰性」という概念だと思います。
與那覇氏:仰るとおりです。再帰性とは社会学の用語で、いわば「認識と現実とが、相互に相手を作り上げてゆくループ現象が生じること」といった意味です。たとえば、心理学者の高野陽太郎氏が『「集団主義」という錯覚 日本人論の思い違いとその由来』(新曜社)で明らかにしているように、実験室でテストする限り、個々の日本人は別に集団主義的な性格でもなんでもない。むしろ「日本人は集団主義的だから、集団から外れたら浮いてしまう」といった社会通念があり、その認識にしたがって人々が行動してしまうことによって、われわれの社会の「集団主義的」な性格というものは再生産されているんですね。
つまり、現実が先にあってそれを認識するというより、認識を通じて現実をつくり出してしまうところに、人間というものの特徴がある。人間が集合的にコミュニケーションを取りながら生きていく存在である以上、再帰性は必ず働きます。脳死問題や環境問題はまさにその典型で、「ここからを死んだ人とみなすことにしよう」「このレベルなら安全だと考えることにしよう」という認識を通じて、移植用の臓器を摘出可能な身体とか、居住することが認められる空間といった現実が、社会的につくり出されていくわけですね。
――本書のうち映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に触れた部分を、年末の『文藝春秋』誌の書評委員アンケートで池上彰氏が取り上げていましたね。この映画で描かれる昭和30年代に憧れる人は多いけれど、現実には当時の男性の自殺率は現在と同様に高く、女性にいたっては現在の倍。さらに凶悪犯罪の発生率のピークも昭和30年代だと。しかし、そう言われてもやっぱり、映画で描かれた認識の方を好きになってしまう人が多いような。
與那覇氏:歴史や記憶もまた再帰的につくられている、ということですね。個人レベルでみても、体験したことがすべて記憶に残るかと言えばそうではなく、記憶とは思い出すことによって再構成され、自分が思い出したくない記憶は抑圧したままに、思い出したい記憶だけを寄せ集めてストーリーをつくりあげることがあるでしょう。そのメカニズムは、しばしば集合的なレベルでも展開されます。たとえば、自分はこういう人生を生きてきたとか、日本という国はこういう歴史を持っていると語るようにですね。