2024年12月23日(月)

オトナの教養 週末の一冊

2013年12月20日

 こういう歴史の再帰性に対して、歴史学が果たす役割は両義的なんですよ。私やあなたの身の回りを振り返ればわかるように、この世の中に起きることのうち歴史に残ることと残らないこととを比べたら、それは残らないことの方が圧倒的に多いわけでしょう。その中から歴史学者が研究対象をピックアップしてくることで、選ばれた特定の要素へのクローズアップが起こり、それを中心として歴史が書かれてしまうということはある。しかし一方で、いま再帰的に語られ続けている昭和30年代なら昭和30年代のイメージに対して「それは違うよ」と指摘したり、これまでこういう語り方はされて来ませんでしたよね、という新しい史実のつなぎ方を見つけて既存の歴史イメージを覆したりできることこそが、歴史研究の醍醐味でもあるんですよね。

――そこが前著『中国化する日本』と重なってくる部分なわけですね。同書でも本書と同様、さまざまな映画作品の話題を織り込みつつ、しかし時代劇等を通じて一般に流布している日本史のイメージがいかに現実と違うかを強調されていましたが、刊行後の反響は?

與那覇:色んな場所で読んでくださった方にお会いすると、やっぱり「戦国時代」の認識と現実のギャップに対する反応が多いです。実際には餓死者が累々で食糧の奪い合いをしていた陰惨な時代を、天下統一に向けて男の中の男たちが雄略を競った熱い時代として語り継いできたわけですから、やむを得ないといえばやむを得ないですが。

 誤解されたくないのですが、私は時代小説や歴史映画を支えている、既存のイメージを型通りに演じてもらったり、知識として知っている挿話が忠実に再現されるのを観たかったりという欲求を否定するつもりはないんですよ。ただ、歴史研究というのはそれとはまったく別の、歴史の愉しみ方なんですよと伝えているだけで。今年出した他の本でも、『日本の起源』(太田出版)では中世史の専門家である東島誠氏とより「歴史研究」的な議論をしましたが、『史論の復権』(新潮新書)では研究する側だけでなく制作サイドの方も交えて、むしろフィクションとしての時代劇をどう味わうかという対談をしています。

――與那覇さんが歴史を研究する上で、自分が持っていた既存のイメージを覆される愉しみを知った、きっかけのようなものはありますか?

與那覇氏:学部生の頃、自分の専門を日本近代史に決めて卒論を書こうとしていたときに、大学院でもお世話になる先輩から薦められたのが牧原憲夫氏の『客分と国民のあいだ 近代民衆の政治意識』(吉川弘文館)でした。明治の自由民権運動像を一新させた名著で、当時の自分はまだまだ高校社会科の歴史観だったから、植民地支配や対外戦争に突き進んだ明治政府と異なって、民権運動こそが近代日本の中でも唯一誇れる、輝かしいものだったというテーゼを信じてきた。藩閥政府ではなくこの運動に参加した民衆の方こそが、後のデモクラシーにつながるような「本当の近代化」を追求したんだと。


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