地震による津波が発生した時、私たちは自らを守ることはできるのか――。答えは「できる」だ。東日本大震災発生時、岩手県釜石市の小中学生のほぼ全員が避難できた「釜石の奇跡」の裏側を追った2011年4月22日掲載の「小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない」を再掲する。
岩手県釜石市では、市内の小中学生、ほぼ全員が津波の難を逃れた。多くの人たちは、これを「奇跡」と呼ぶ。しかし、そうではない。教育で子どもたちが身につけた対応力が「想定外」を乗り越えさせた。
死者の声に耳を傾ける
最初にある少女のことを書かせていただきたい。私は、岩手県釜石市の小中学校で先生方とともに防災教育に携わって8年になる。「どんな津波が襲ってきてもできることがある。それは逃げることだ」と教えてきた。特に中学生には「君たちは守られる側ではなく、守る側だ。自分より弱い立場にある小学生や高齢者を連れて逃げるんだ」と話していた。今回の震災では、多くの中学生が教えを実践してくれた。
ある少女とは、私が教えた中学生の一人だ。彼女は、自宅で地震に遭遇した。地震の第一波をやり過ごした後、急いで自宅の裏に住む高齢者の家に向かった。そのおばあさんを連れて逃げることは、自分の役割だと考えてくれたからだ。逃げる準備をするおばあさんを待っているとき、地震の第二波が襲ってきた。彼女は、箪笥の下敷きになり命を落とした。
病気で学校を休んでいた子やこの少女を含めて、釜石市では残念ながら5人の小中学生が亡くなった。それでも、命を落とした少女を含めて、一人ひとりが「逃げる」ことを実践してくれたおかげで、小学生1927人、中学生999人の命が助かり、生存率は99.8%だった。もちろん、死者が出た時点で、私たちがやってきた防災教育は成功したと胸を張ることはできない。だから、私は彼女ら死者の声に耳を傾け続ける。防災学は、人の命を救う実学だからだ。彼女らの声を聞くことで、別の命を救うことができる。
小学生の手を引き逃げた中学生
釜石市の鵜住居(うのすまい)地区にある釜石東中学校。地震が起きると、壊れてしまった校内放送など聞かずとも、生徒たちは自主的に校庭を駆け抜け、「津波が来るぞ」と叫びながら避難所に指定されていた「ございしょの里」まで移動した(右図参照)。日頃から一緒に避難する訓練を重ねていた、隣接する鵜住居小学校の小学生たちも、後に続いた。
ところが、避難場所の裏手は崖が崩れそうになっていたため、男子生徒がさらに高台へ移ることを提案し、避難した。来た道を振り向くと、津波によって空には、もうもうと土煙が立っていた。その間、幼稚園から逃げてきた幼児たちと遭遇し、ある者は小学生の手を引き、ある者は幼児が乗るベビーカーを押して走った。間もなく、ございしょの里は波にさらわれた。間一髪で高台にたどり着いて事なきを得た。
釜石市街の港近くにある釜石小学校では学期末の短縮授業だったため、地震発生の瞬間はほとんどの児童が学校外にいた。だが、ここでも児童全員が津波から生き残ることができた。