少年時代に策略から家を救った官兵衛
「軍師 官兵衛」はその第1回「生き残りの掟」のなかで、黒田家を興した祖父の重隆(竜雷太)と父職隆(柴田恭兵)、母いわ(戸田菜穂)の物語をつづっていく。諸国を放浪していた重隆が家の基礎となる財を築いたのは、薬草の目薬であった。全国の守り札を売って歩く神社の信徒に眼をつけて、札とともにその薬も売らせたのである。その売上を資金として近隣に金貸しを始める。そのことが播磨国の豪族である小寺家とつながるきっかけとなって、家老までになる。いまは職隆に当主を譲って隠居の身である。
「目薬売りであったことをおまえは恥ずかしいのか」と、重隆は息子の職隆に問う。商人でも武士でも、いずれにしろ生き抜いていかなければならないと諭すのである。小寺家の重臣からその出自について陰口をたたかれていた。
職隆が守備する小寺領のなかで、野武士が農民を襲う事件が頻発する。小寺家の重臣たちに、職隆がその陰の頭目ではないかという疑惑が広がる。
その真実は、すでに櫛橋家と通じていた小寺家の家臣の仕業だった。しかも、その男は職隆の親友であった。
この策略を見抜いたのは、少年時代の官兵衛である。野武士に襲われた幼なじみの少女を助けて逃げる途中の森のなかで、職隆の親友の配下の者と野武士が相談している現場をみたのである。
官兵衛はこの情報を巧みに父に伝え、黒田家は面目をほどこす。
織田信長が今川義元を討った「桶狭間の戦い」(1560年)に際して、もっとも大きな恩賞が、今川軍の位置を知らした部下に与えられたことを知る。「信長というやつ、おもしろい」と官兵衛はいう。
軍師という情報を重視しながら戦いを進める官兵衛の将来が予言される。
第1回は、官兵衛の元服のシーンで終わった。
伝統といまの融合
歌舞伎の十八番はすでに二百年以上にわたって、その時のいまを織り込みながら、観客の歓声を呼んできた。