2024年10月11日(金)

BBC News

2024年9月12日

南米ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領が11日に死去した。娘のケイコ・フジモリ氏が発表した。86歳だった。

ケイコ氏はソーシャルメディアに、フジモリ元大統領が「がんとの長い闘病の末」に死去したと投稿した。

訃報を受けて、フジモリ氏の支持者らが同氏の自宅前に集まった。

長女ケイコ氏、長男ヒロ氏、次女サチ氏、次男ケンジ氏は、「がんとの長い闘病の末、私たちの父アルベルト・フジモリは神のもとへ旅立ちました」とする共同声明を発表。

「父を愛してくださった方々へ。父の魂が永遠の眠りにつけるよう、私たちとともに祈ってください。お父さん、本当にありがとう!」とした。

ケイコ氏は現在、ペルーの野党「人民勢力党」の党首を務める。2021年大統領選では僅差で敗れたが、次の2026年選挙に再出馬する意向を表明している。

「左翼から国を守った」、「権威主義的」

支持者にとってフジモリ氏は、毛沢東主義の左翼ゲリラ組織「センデロ・ルミノソ」からペルーを救い、経済改革によってハイパーインフレを克服した人物だ。

一方で、罪のない数千人もの紛争の犠牲者にとっては、権威主義的で残忍な指導者だった。

フジモリ氏は1990~2000年に日系人として初めてペルー大統領を務めた。最後は汚職疑惑が浮上し退陣に追い込まれた。

その後、日本での実質的な亡命生活を経て、ペルーで人権侵害と汚職で有罪とされ25年の禁錮刑を言い渡されて服役したが、2017年に健康状態の悪化を理由に当時の大統領から恩赦を受けた。しかし、翌年に最高裁判所が恩赦を取り消し、2019年に再び収監された。

2023年、憲法裁判所は6年前の恩赦の復活を決定。15年以上服役したフジモリ氏は同年12月に首都リマのバルバディージョ刑務所から釈放された。

フジモリ元大統領は、強権的な手法で国を統治した。在任中は劇的な曲折をたどった。

初めて大統領に選出されたのは、反政府勢力による反乱がピークに達していた1990年だった。

1992年には憲法を停止し、国会を閉鎖するいわゆる自主クーデターで全権を掌握し、非難を浴びた。

フジモリ政権は反政府勢力をなんとか打ち負かしたものの、多大な人的犠牲を払った。

権威主義的な同政権による弾圧の死者は、推定6万9000人に上るとされる。

フジモリ氏は最終的に、大統領在任中に貧困層の多い先住民コミュニティーを標的にした人権侵害を行った罪で有罪判決を受けた。

2000年11月に両親の故郷・日本に亡命し、5年間滞在した。2002年にはペルー当局が公金横領で逮捕状を出したが、本人は否認。2005年11月に翌年の大統領選への出馬を宣言し、12月にペルーの隣国チリに入ったところ、チリ当局に身柄を拘束され、07年9月にペルーに送還された。

(英語記事 Former Peruvian leader Alberto Fujimori dies at 86

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/cvg4gm7dm9do


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