2024年12月26日(木)

個人美術館ものがたり

2009年12月18日

美術作品を堪能して、よく手入れされた庭園や緑豊かな自然の中を散策。
ほっと息をついて寛げるレストランも併設されています。
開館前の予想とはかけ離れた数の来館者が訪れる、幸運な美術館です――。

川村勝巳氏(1905~99年)

 川村さんて誰だろう。川村記念美術館という名を見てそう思った。画家か、彫刻家か、それとも陶芸か、あるいは工芸か。でもそれらしい人が浮かんでこない。資料を見るとこの美術館を支えるのはDIC〔ディーアイシー〕株式会社で、その創業者が川村さんだったのだ。初代社長が川村喜十郎氏で、2代目の川村勝巳氏のころから美術品のコレクションが本格的にはじまったらしい。

 場所は千葉県の佐倉市、成田空港にも近いところだ。交通の便は必ずしもよくはない。でも最寄りの駅から無料のシャトルバスが運行している。

 到着したところは、広々とした庭園だった。大きな池の周りに芝生が広がり、樹木がうまく配置され、手入れが行届いている。池から少し離れて建物があり、2本の太い円筒形の部分がまるで牧場のサイロのような、あるいは西洋のお城みたいなイメージもあり、上質なメルヘン気分が充満している。

 それにしてもこの庭園を含めた施設の規模は悠大である。DICとは何だろう、とよくよく考えたら、元の名は大日本インキだ。正しくは大日本インキ化学工業株式会社。それでわかった。大日本インキといえばデザイナーや編集者で知らぬものはない。みんなその色見本帖を手に、本や雑誌やポスターなどを作っていた。いまは作業がパソコンに移って事情は違うだろうが、なるほど、そうだったのか。

エントランスホール

 館内には、まず印象派のモネ、ピサロ、ルノワールなどが何点か並び、つづいてマチス、ピカソとなる。ピカソは点数も多く、とりわけ「シルヴェット」というモノクロームの裸女の肖像画があるのでびっくりした。高校時代に憧れた絵だ。ピカソといえばそれまでチェンジにチェンジを重ねて、カラフルで天真爛漫のイメージがあったのに、その時期いきなりモノクロームの暗っぽい描写的な絵を描いたことに驚いたのだ。

 でもその絵が魅力的で、傾倒した。1950年代、やっと戦後10年ほどがたったころだ。世の中には新具象派といわれる、かなり社会的意識の強い絵の一群があらわれた。そのシンボルがビュッフェで、かりかりに細い人物、かりかりに細い椅子や机、画面全体が暗いイメージに支配され、それが人々の気持をとらえていたのだ。


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