2024年7月12日(金)

個人美術館ものがたり

2009年12月18日

マン・レイの諸作品

 その後このシリーズの作品をあまり見かけなくなったが、いまあらためてこのピカソの「シルヴェット」を見ると、ピカソもやはりあの時代の空気を吸っていたのかと思う。「ゲルニカ」を描いたピカソの、暗い魅力の一面である。あるいはピカソの器用さの一面として見ることもできる。暗い魅力というのはある種の粘菌みたいに、明るい空気の裏側でいつも密かに生き長らえている。

日本画の展示室。左奥が茶室の扉

 隣の壁にはやはりピカソの「肘掛椅子に座る女」(1927年、油彩)があった。色調だけ見ればこれも同時代かと疑う暗いモノクロームの絵だが、こちらは30年近く前のピカソ作品だ。はじめて描写を壊す歓びに転げ回っているころで、画面では人物像の概念を粘土細工みたいに伸ばしたり縮めたり楽しんでいて、その感じがじつにユーモラスだ。でも色調をあえて暗いモノクロームにしたのはピカソの逆説だろう。この2点が並ぶ展示は、とても批評的で面白かった。

 館内を進むと、抽象絵画の多いのが特徴だとわかってきた。さらに進むと日本美術の長谷川等伯や尾形光琳もあり、長沢蘆雪〔ろせつ〕があるのにも嬉しくなったが、描写から抽象への抜け穴となったダダの時代の、シュヴィッタースやマン・レイのオブジェ類が、リメイクとはいえコレクションされているのに目を見張った。

 つづくウォーホールの辺りはまだ具象的な引掛りが懐しいが、抽象絵画のラインハート、ステラ、ニューマン、ロスコとなるにつれ、作品が巨大化し、つるりとした色面だけが広がり、具象的な手がかりが何もなくなり、アートという概念だけがどこまでもふくらむ。

 それを見ていて、マネー経済、という言葉を思い出した。手触りの感覚からどんどん遠ざかり、数字だけがふくらむような抽象世界。それに対応する実体経済という言葉も、考えたら不思議なもので美術世界にもぴたりと符号する。やはり無意識ながら、美術の世界も時代の空気を吸って変化する。美術世界のリーマンショックがどんな形であらわれるのかわからないが、巨大な色面だけのロスコの部屋で、そんなことを感じる人がいるのだろうか。

ロスコ・ルーム

 何とも妙な感慨を味わった。でもこの美術館に来ている人は、みんな楽しそうだ。レストランが充実していて、大いに賑わっている。ぼくらも食事をしたが、美味しい。みんなしっかりと時間を取って、張り切ってここへ来ているようだ。ここへ来るからには美術鑑賞が筆頭ではあるけれど、それは楽しいホリデーの一部で、あとはのびのびとこの庭園を散歩する。


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