平和のメッセージを歌うことに
自分の意味があると思えた。
そんな新垣が変わるきっかけは何だったのか。
「病気が大きかった。35歳の時、狭心症で1カ月入院してね。死んでもおかしくなかったのに命を取り留めた。これからの人生は、神様からもらった新しい人生だと思えたんです」
生きたいという本能的な思いが、引きずったところで何も生み出さない過去よりも未来を考えようという方向へ気持ちを導いたということは、言えるだろう。
「入院中、自分を内観する時間がありました。父にもらった骨格が、沖縄の人々の明るさが、歌うのにプラスになっていることは少しずつ実感していました。じゃあ、私は何のために歌っているんだろう。沖縄に生まれ、父は米軍兵で、戦争がなければ自分という存在はなかった。沖縄の歴史、自分の歴史をオーバーラップさせたら、たいしたことはできないけど平和のメッセージを歌うことに自分の意味があると思えた。自分が背負った苦しみも悲しみも、歌を通じて伝えよう、それで乗り越えられるって」
内面での相克と、数十年の時間は、新垣が自分の過去を受容するためには必要だったのだろう。加えて「愛を注いでくれた人たちの存在が欠かせませんでした」と新垣は言う。その人たちとは、祖母であり、先生であり、牧師であった。彼らが注いだ愛とは何か。それは、自分を気にしてくれる人がいる、自分に希望があると言ってくれる人がいるということを、新垣の心の中から消さなかったことではないか。
新垣だからできることがあると、肯定的なメッセージを伝え続ける人の存在が根底にあってはじめて、葛藤と長い時間の果てに、過去があるからこそ自分は自分であり、そして存在価値があると気づけたのだと思う。
だから新垣は、「少しずつでも、人さまに恩返ししたい」と考えている。重い過去を受け止めた新垣の存在自体が、なかなか前に進めない人に勇気を与えている。そしてそれは、新垣の歌声にも表れている。
「この前、ある中学校に招待されて、子どもたちの演奏を聴いたんです。技術的にはまだまだなのに、一生懸命にやっている彼らの心が伝わってきて、涙が出て仕方がなかった。音楽には人間性が出ます。だから、私の人生の受け止め方が声に表れることは、あると思います」