自民党から民主党に政権交代したときには、政治部の筆頭デスク(編集者)にはそれまでの自民党の首相の派閥担当キャップ経験者から、従来の野党担当のキャップ経験者に交代することもあった。つまり、「政局」は自らの社内における位置の交代を意味するわけだ。
政治学の教科書によっては、政治部記者が政治を動かす重要なファクターである、と断定しているものもある。
最期まで続けた政治記者
渡辺氏の軌跡をたどる前に、ちょっと脇道に入ってみる。読売新聞の社内における渡辺氏の呼称は常に「主筆」である。1985年から最期までこの役職を手放さなかった。また、巷間でいわれている「ナベツネ」も異なる。細かいことであるが、「ワタツネ」である。
主筆とはなにか。NHKが渡辺氏に足かけ3年、合計8回のインタビューした内容をまとめた、『独占告白 渡辺恒雄 戦後政治はこうして作られた』(安井浩一郎、2023年、新潮社)よると、社内の規定では「筆政を掌(つかさど)る」と短く記されているだけだ。具体的には新聞の論調や紙面作成の方針を決め、報道機能、言論機能の両面を指示し、調整権限を有する職制とされている。
渡辺氏は「分かりやすく言うと、社論を決める最高責任者である」という。
天寿をまっとうした、渡辺氏が亡くなった19日夜のニュース報道をみると、上記のインタビューをNHK時代に手がけて、テレビ朝日の「報道ステーション」のキャスターに転じた大越健介氏が渡辺氏のオーラル・ヒストリーを手がけた東京大学名誉教授の御厨貴氏を迎えた特集と、「NHK・ニュースウォッチ9」によるインタビュー映像を使った番組は、追悼ニュースとしては出色だった。
東大名誉教授の御厨氏の言葉はテレビのコメントらしく簡潔な表現で渡辺氏の人生を振り返った。
「渡辺さんの功罪は大きい。『功』は、政治記者をずっと極めようとして、左遷されても何しても政治記者として書くことをやめない。『罪』は、それが行き過ぎた。あの人の場合は筆で闘うのはいいが、筆で闘っているうちにだんだん彼自身が権力になってしまった。
引き際という言葉がまったくふさわしくないように、ついに引くことなく終わった。ずっと一新聞記者として“筆政”を掌る主筆として一生を生き抜こうという意識があった」
「NHK・ニュースウォッチ9」が紹介した、ロングインタビューのなかで、渡辺氏は次のように語っている。
「僕の経験からすると、生臭い人情、いろんな意味で人情が政治・外交を動かしている。新聞記者はそこまで入らないと分からない。取材する人があまり近づいてはいけないと馬鹿なことをいう人がいるが、近寄らなきゃネタはとれない」