2025年1月12日(日)

Wedge OPINION

2024年12月9日

 パワハラ疑惑の内部告発者を懲戒処分としたことを兵庫県議会から批判され、全会一致で不信任決議を受けた兵庫県の斎藤元彦知事が11月の出直し選挙で知事に返り咲いた。メディアにたたかれて劣勢にあった斎藤氏を盛り立て、SNSなどを駆使してその再選に尽力したのが、「斎藤氏のサポート」をぶち上げて立候補したNHKから国民を守る党の立花隆志代表だ。

兵庫県の斎藤知事は現代のメディアにどのように映し出されたのか(アフロ)

 しかし選挙後、そのソーシャルメディアを駆使した選挙戦の在り方が問われている。それはデジタル時代の情報発信の手法だけでなく、メディアそのものの根底を揺るがす議論でもあるからだ。その真の論点とは何か。

ソーシャルメディアは本当の「声」なのか

 立花氏は、斎藤氏を内部告発したあと自殺した県職員は公用パソコンに私的情報を保存しており、その情報の発覚を恐れて自殺、告発内容は「作り話で名誉棄損」と主張した動画をYoutubeで拡散。自分自身「大手マスコミ(の報道)に騙された」とメディアに対する不信感を煽った。

 NHK批判の政党代表であるから、立花氏の大手マスメディア批判の主張はさもありなんとは言える。斎藤氏本人も「テレビや新聞の報道は信じられない」と語り、大手メディアに対する批判を拡大させた。SNSで雪だるま式に拡大したメディア批判は斎藤氏をメディアの餌食にされた犠牲者、情報権力に抵抗するヒーローに仕立て上げた。

 立花氏の主張の真偽は今後改めて問われるべきだが、検証困難な情報を選挙期間中に故意に流し続けたとすれば、それはデマゴギーと言われても仕方がない。終わってしまえば、それまでというわけにはいかないはずだ。

 ただ立花氏の批判の対象が限定的な個人でなく、大手メディア一般で漠としているために論争の構図を設定しにくいことは確かだ。しかも大手メディアとしてはユーチューバーはじめ不特定の個人SNS利用者を敵にした論争は国民規模での反発を招きかねない。東京都知事選でSNS拡散により善戦した石丸伸二氏の例を引き継いだネット時代の象徴的な選挙だった。

 確かにマスメディアに反発する主張は庶民の声としてデモクラシーの批判精神の一つであることは間違いない。しかし今回の選挙の在り方は、正しい意味でのデジタル時代の「情報のデモクラシー」ということができるだろうか。ソーシャルメディアを通した庶民の本当の声の勝利といえるのか。


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