2025年1月6日(月)

勝負の分かれ目

2025年1月1日

 被災地にとって、最も恐いことの一つに、世間からの関心が薄れる“風化”が挙げられるだろう。

 被災地ではいまなお、震災の傷跡が残る。最初の地震による建物の倒壊に加え、羽生さんが訪れた約1週間後にも豪雨による川が氾濫した地区では浸水被害が発生。公民館や仮設住宅の周辺にも土砂が流れ込んだ。自戒を込めて言えば、メディアは発生直後には多くの記者やレポーターが現地の惨状を伝えるが、次第に目を向けなくなる。

 羽生さんは無観客の配信限定のチャリティーチケットだったにもかかわらず、石川県での演技にこだわった。

 「『3・11』のこともそうですけれど、風化に対して、僕たちが何かをすることは難しいかもしれません。それでも、僕は震災の支援をしたいと思っています」

 羽生さんが演技会後の囲み取材で発した言葉だ。

被災地に思いをはせるための五輪二連覇

 プロ転向後の活躍は競技者時代を凌駕するといわれている。実際、プロという土俵に立ち、競技者時代のルールという縛りから解放されたことで、表現力にも壮大な広がりを見せている。「プロスケーター・羽生結弦」としての進化は、過去を顧みることなく歩みを進めてきたどん欲な姿勢の裏付けでもある。

 一方で、どれだけの月日が経っても、決して色あせることなく、輝き続けるものがある。五輪で手にした2つの金メダルだ。しかも、フィギュア男子では66年ぶりとなる2連覇。過去の栄光を顧みない羽生さんが、2つの金メダルの威光にすがる唯一ともいえる瞬間が、被災地と向き合うときかもしれない。

 「僕自身、(五輪で)金メダルを2個取りたいという気持ちの中の1つの大きな目的として、2連覇したところから被災地への支援や思いやりみたいなものをスタートしたいなという気持ちがあって、常に現役、競技を頑張ってきました。やっと自分がプロに転向して、徐々に、徐々に、被災地に心をはせることができるようになってきました。

 そういった中でも、自分はやはり、スケーターであるということが1番なので、演技を通じて、(被災地の)皆さんに対する支援や、感情に対する少しの一助になれないかなと思っています。『3・11』もそうですし、その時々で起こっているいろんな災害に対してもそうです」

 五輪2連覇を成し遂げたからこそ、高い注目を集め、できることがある――。それは能登に限ったことではない。ソチ五輪後、羽生さんは日本テレビ系チャリティー番組「24時間テレビ」の震災復興企画で宮城県石巻市を訪れた。

 24時間テレビの企画ではほかにも、仙台市の「アイスリンク仙台」で同じく24時間テレビの特別企画としてアイスショーを行い、自らが訪問したことがある福島・楢葉町の住民を招待。北海道・胆振東部地震などの被災地にも足を運んできた。

 支える活動は多岐に渡る。読売新聞社主催の「羽生結弦展」でのグッズ収益などからも寄付を行う。練習拠点のアイスリンク仙台への多額の寄付の積み重ねも知れ渡る。何より、途切れることのない「継続力」に大きな意味があるのではないだろうか。


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