そして、今回の交渉はエストニアの提案で2012年10月に再開された。前述の通り、近年、ロシアは精力的に国境問題を解決してきたが、中国やノルウェーとは、係争地域をほぼフィフティ・フィフティに分け合う、つまり折半する形に譲歩して解決してきた。だが、エストニアに対しては、決して譲歩しない姿勢を貫いたのだった。
何故、妥結できたのか?
ロシアが係争地を折半することで領土問題を解決する前例が多かった中、何故今回ロシアは譲歩の姿勢を全く見せなかったのだろうか。また、何故エストニアはロシアの要求をそのまま応諾する形で領土問題を決着させたのだろうか。
ロシアが譲歩しなかった理由は、歴史認識で絶対に譲歩しない姿勢を貫いたのに加え、エストニアが譲歩すると確信していたからである。実は、エストニアはEUとNATOからロシアとの国境を早期に確定をするよう圧力を受けていた。エストニアは領土よりも、欧州との良好な関係の維持と統合深化、さらに安全保障の確保を優先せざるを得なかった。
そして、もう一つの理由がある。通商・貿易の拡大による経済的利益の確保である。ロシアはエストニアに様々な通商制限も課してきたが、2014年1月9日には、生産・管理の問題があるなどとして、ロシア消費者保護・福祉監督庁がエストニアの乳製品メーカー5社と魚介類メーカー6社に対する一時的な輸入制限措置を導入していたのだ。
条約調印後に、パエト外相が近いうちにエストニア製品のロシア向け輸出が再開されることに期待を表明したことは、エストニアがロシアとの貿易再開のために領土を放棄した背景を物語っている。ロシアのラブロフ外相も調印後に、国境の法的画定は関係強化の重要な一歩になると評価しており、ロシアがエストニアに通商などでの便宜を図っていくことが予想される。
また、本条約の調印直前に、エストニアではロシアに対する別の譲歩ともいえる動きがあった。後述の通り、エストニアにおけるロシア語使用の問題は両国の懸案事項の一つであったが、2014年2月8日、首都タリンの市議会が、市内の46の幼稚園で教育上の言語としてロシア語を使用する許可を与えた。これは、幼稚園側からの請願に答えた結果であり、申請した幼稚園全てで使用が可能となる。
エストニアでは、幼稚園教育はエストニア語で行われなければならないと法律で規定されており、他言語での教育は自治体の許可が必要となっているが、首都でのロシア語容認の動きは、ロシアに対する事前の手土産にも見える。