またロシアがエストニアに対して電力供給カットや交通制限、通商制限などの物理的な、そして様々な外交的嫌がらせをする一方、ロシアが望むエストニア経由のパイプライン敷設をエストニアは受け入れなかった。
加えて、両国関係を決定的に悪化させたのが2007年の「タリン解放者の記念碑撤去事件」である。エストニア政府が首都タリンの中心部にあった旧ソ連兵士の記念碑を、郊外の軍人墓地に移転した事件だが、それはロシアとエストニアの間の「歴史認識」を巡る対立に発展した。ロシア人にしてみれば、記念碑の移転は「歴史の書き換え」だという意味を持ったのだ。ロシア人は激高し、エストニア在住のロシア系住民は「青銅の夜」と呼ばれる暴動をタリンで起こし、またロシアのエストニア大使館も抗議する人々に包囲された。さらに、ロシアから大規模なサイバー攻撃(DDoS攻撃)がなされ、エストニアのインターネット機能が麻痺する事態となったのだった。
日本にとっての意味
前述のように、ロシアの領土問題は本合意をもって、日本との北方領土問題だけとなった。今回の合意は、日本にとっては悪報だといえる。何故なら、エストニアと日本の対ロシア領土問題は、第二次世界大戦による旧ソ連の領土拡大に対する抗議という共通点があるからだ。前述のように、ロシアはエストニアに対しては、終始全く譲歩しない姿勢を貫いた。その背景には、もちろん、小国であるエストニアだからこその弱みというものもあったが、ロシアの歴史認識を固持する決意の強さがあった。
そして、エストニアとの条約署名後に、ラブロフ外相は、北方領土問題について、領土紛争ではないと強調したうえで、第二次世界大戦の結果は国際的に公認されていること、そして問題解決にはその現実を出発点とすることが必要だという従来の主張を繰り返したのである。これは、日本もエストニアのようにロシアの北方領土に対する実効支配を認め、今後の領土の主張を一切放棄することを確約しない限り、領土問題の解決は出来ないというロシアからのメッセージだといえる。
しかし、エストニアと日本の条件が違うのもまた事実だ。エストニアと日本では、歴史的、地理的背景がかなり異なるし、日本は経済協力や技術協力というカードも持っている。それに少なくとも現在は、北方領土を放棄するように圧力をかけてくる外部勢力もない。
やはりエストニアの事例は一つの前例と考え、日本は日本のやり方でロシアとの粘り強い交渉を続けていくことでしか、解決の道は開けそうにない。
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