2024年7月14日(日)

解体 ロシア外交

2014年3月12日

「人民戦線」が最初に生まれた国

 このように、エストニアはEU、NATOとの関係、安全保障、経済利益と引き換えに領土を放棄したのだが、エストニアとロシアの関係が長年厳しかったことを考えれば、このエストニアの決心がいかに重い意味を持つかがわかるだろう。ここで、両国関係について簡単に振り返ってみよう。

 エストニアは多くの大国の勢力下に入る歴史を経て来たが、それらには、ロシア帝国とソ連が含まれる。

 1917年のロシア革命によってロシア帝国が崩壊すると、独立気運が高まり、1918年2月24日に独立を宣言し、1921年には国際連盟にも参加したが、1939年8月23日に締結された独ソ不可侵条約の秘密議定書により、現在のラトビア、リトアニア、モルドヴァなどと共にソ連に占拠され、ドイツが同条約を破棄して独ソ戦が始まったことで、一時ナチス・ドイツに占領されたが、1944年にはソ連軍に再び占領され、ソ連に組み込まれるに至った。

 だが、これらの経緯に加え、スターリン時代には強制移住の憂き目にも遭ったため、モスクワに対する反発は極めて大きく、多くのソ連構成共和国に広がりソ連を解体に導くことになる「人民戦線」が1988年に最初に生まれた国でもある。そしてバルト三国は独ソ不可侵条約の秘密議定書を根拠に、独立を主張し、欧米諸国の強い支援もあって、ソ連解体直前の1991年9月6日にソ連がバルト三国の独立を承認し、同年には国際連合にも加盟した。1994年8月31日にロシア軍がエストニアから完全撤退した後、エストニアはヨーロッパとの関係を緊密にし、2004年には北大西洋条約機構 (NATO) および、欧州連合 (EU) に加盟した。

「タリン解放者の記念碑撤去事件」でさらに関係悪化

 だが、ただでさえロシアがNATOとEUの拡大を嫌悪している中、旧ソ連諸国がそれらに加盟したことは、ロシアとNATO、EU諸国が国境を接することを意味し、更に、バルト三国ならびにポーランドはEUの中でも、特にロシアに対して厳しい姿勢を堅持してきたため、ロシアにとっては極めて煩わしい存在となっていった。さらに両国間には多くの問題が生じてきた。

 まず、今回解決された、領土問題である。

 そして、エストニアを含むバルト三国には、多くのロシア人が在住しているが(ソ連解体後、ロシア以外の地域からは多くのロシア人がロシアに戻ったが、バルト三国は生活レベルが高く安定しているため、多くのロシア人が残った)、彼らのロシア語の権利は常にロシアとの懸案事項となってきた。


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