2024年11月22日(金)

東大教授 浜野保樹が語るメディアの革命

2009年5月19日

DVD不振 構築できなかった海外流通システム 

 1980年代に日本の大手家電メーカーでアメリカへのビデオデッキの売り込みを担当していたアメリカ人ジョン・オダネル(John O'Donnell)氏。サンディエゴに訪れた時、コミック・コンベンションが偶然開かれていて、覗いてみることにした。会場では日本の漫画やアニメーションが販売されており、それも半端な数ではなかった。当時、日本のアニメーションはアメリカでは市販されていなかったため、日本で販売されたものや、個人録画をダビングしたものばかりだった。

  アメリカに日本のアニメーションの市場があることを察知したオダネル氏は日本人の上司に、日本のアニメーションのビデオパッケージをアメリカで販売することを提案する。彼が勤めている会社のビデオのフォーマットは他社が採用せず、苦戦していたが、フォーマットの普及にも追い風になると付け加えたが、「日本のアニメなんか海外で商売になるわけがない」と相手してくれず、自分でアニメ・マンガ販売会社セントラル・パーク・メディア社を起業する。

  テレビ放送の『鉄腕アトム』(虫プロダクション)は、アメリカの放送局と直接交渉したが、東映動画をはじめ、その後の日本のアニメーション会社は、海外での流通を人任せにしてしまった。こうして、パッケージにおいても、日本企業は流通機構を海外で整備をする機会を逸したのであった。前述の映画プロデューサー森岩雄が海外で成功した特撮映画『ゴジラ』シリーズについて、次のように語っているが、アニメーションにおいても似た話を頻繁に耳にする。

  「この映画は自信のない商売をして安く売り渡してしまったので、これを買ったアメリカ人は大儲けをし、ハリウッドに『ゴジラ御殿』という立派な家を買いこんだという」(『私の藝界遍歴』1975年)

  セントラル・パーク・メディア社などが市場開拓を行うことで、アメリカや海外でのパッケージ市場が顕在化し、著作権を保持している日本の企業が海外市場に乗り出していった。海外の会社は人気作品を買い付けられなくなり、さらにはインターネットでの違法視聴が追い打ちをかけ、セントラル・パーク・メディア社は2009年4月倒産し、会社精算の憂き目にあう。

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