校長室に歴代のPTA会長の写真が!
ずいぶん前に、北海道の帯広市に零下20度前後の真冬にいきました。
そのおり、帯広市立清川小学校に立ち寄りました。校庭にお父さんたちが水をまいてスケートリンクをつくり、毎日交代でリンクの整備や子どもたちのスケートの面倒を見ているとのことからです。
校庭のはずれに廃バスがあります。中をのぞくとストーブや毛布から一升瓶などが置いてあり、温かい生活の匂いがただよっていました。
「お父さんたちは、きっと毎晩ここで秋津と同じように『アレ』をやりながら子どもや学校、地域の未来を語りあっているんだろうなぁ」と、楽しく想像しました。
女性の校長さんに校長室に通されたのですが、驚きました。
なんと、壁の片面に歴代のPTA会長の顔写真が掲げてあるのです。古い人のは肖像画ですが。その対面の壁には歴代の校長さんのそれが掲げてあります。
「すごいですね! 校長室にPTA会長の写真が掲げてあるのを見たのははじめてです!」と、私は興奮しながら大きな声で叫びました。
「そうですか、帯広ではどこでもそうですよ」と、校長さんはこともなげにおっしゃいました。
のちに聞いたのですが、福岡県の一部の地域でも校長室に歴代のPTA会長の写真を掲げているとのことですが、東京生まれの私にとっては驚きでした。
「一人ひとりの社会的親としての“私たち”」
帯広は、出所がハッキリしています。
「帯広市は、明治十六年、静岡県大沢村(現在の松崎町大沢)で結成された晩成社の移民団によって開拓の鍬が下ろされたときをはじまりとしています」と、市のホームページに紹介されています。
さらに「その晩成社の幹部の一人であった依田勉三は、今日の市民の想像を超えた開拓の苦闘の中にあって、終始入植地オベリベリが将来北の都になることを夢見て大志を抱き続けていました」と続きます。
もちろん、先住者のアイヌの方々がその地にはいらしたのですが……。