「最近目に付くのは、『私的親』なんですよね。ですから秋津コミュニティの大人たちのような『社会的親』が必要なんですよ!」
先日こども環境学会の学会誌に載せるために対談した杉本厚夫さん(関西大学教授)がいいました。
子どもの遊び環境などの研究者である杉本さんは、「私的親」と「社会的親」のことをご著書『「かくれんぼ」ができない子どもたち』(ミネルヴァ書房)に書いています。
「私的親」は、「自分の子どものことしか考えない親」のこと。対する「社会的親」とは、「自分に子どもがいてもいなくても地域の子どもたちのことを気にかけて目配りする大人」のこと。
「そうそう、私も子どもを介してつながる大人の縁を『子縁』と名づけて使っていますが、まさに杉本さんの『社会的親』と同じだなぁとご本を読んで感じていたのです」と私は杉本さんに返しました。
で、対談は、とても盛り上がりました。
てなことで、今回はそんなこと(「社会的親」の必要性)を話しましょう。
息子が遭遇したカツアゲ事件
で、「社会的親」で思い出すのは、私の息子が遭遇したカツアゲ事件。
長男が中学3年のときのこと。部活仲間の男子10人で隣町のお祭りに行きました。
プータローをやってる先輩が息子たちを呼びとめたんだって。そいつの先輩でチーマーのヤツがケンカをして前歯を折った。その治療費が10万円かかるとのことから、その工面を下に下ろしてきたんです。
後輩の中学生がちょうど10人いたことから、「1人1万円ずつ持ってこい」と脅されたんだって。
息子たちチューボーは、約束をしたわけではないとのことだったんですが困りました。
1週間後の休日の夜、たまたま私は家にいました。
10人のチューボーのうちの何人かがプータローの先輩から呼びだされ、どこかの公衆電話から息子に電話をしてきました。