「いや、主義主張もないし、気の利いた名前も思いつかなくて自分の名前になっちゃった。そうなると下は書店か書房か出版か書院かの選択だから。書店だと本屋さんと間違われそうだし、出版は当たり前過ぎるかな。で、書院に落ち着いた」
とりあえず社長になった。だが、次は一緒に仕事をする社員の確保という道をとらず、その後ずっと社長ひとりのままというのも、人がいなかったからとか面倒だったからというなりゆきなのか。ついそんな予想を立てたが、またも予想は外れた。
「仕事に関しては、20年やってきたことだから、民俗関係や歴史関係の専門書が何年でどのくらい売れて、ひとりなら食べていけるという予測は立てられる。前は小さな会社だったから、編集の仕事をしながら経理も営業も見えていて、何となく流れはわかってました。自分は人を使えないってのもわかっていたから、最初から社員を入れるつもりはなかったんです。ひとりでできる範囲のことをやればいい。それ以上を求めると、売り上げのために本を作らなければならなくなるから」
この姿勢は、創立から20年間全く変わらなかったという。つい拡大の方向を模索してしまうものだから、強い信念が姿勢をブレさせなかったのだろうと思われる。
が、出版点数は当初は1カ月1冊のペースだったのが、現在は5倍にも拡大している。
「次から次へと仕事が来ちゃってね。本にしたいという出す側の事情や思いに応えていたらこうなった」
「岩田書院」という役割
岩田書院の本は、民俗学系か歴史の専門書がほとんどである。研究者がいて、研究結果を学会で発表し、雑誌に投稿し、何年分か論文がたまって本にまとめることで自分の研究を体系化できる。論文が本になってやっと非常勤講師として研究者の一歩目を踏み出せる。本を出すことは必要なことだが、一般的に売れるものではないし、余裕のない研究者には費用の負担が難しい。
「社員を抱えた大きな出版社では、最初から100万円用意するとか、100部買い取りが条件だったりして本が出せない。うちはひとりだから採算分岐点が低い。印税相当分の出来上がった本を差し上げることで、論文を本にすることができる。400部刷れば20部とかね」
400部? 世間では100万部を超えたと話題のベストセラーもあるが、研究書や専門書の発行部数は一体どのくらいなのか。