メジンスキー氏の脇には、胸をそらすような姿勢でロシア外務省のミハイル・ガルージン外務次官が立っていた。元駐日ロシア大使を務めた人物であり、将来的に北方領土をめぐる交渉再開を模索するであろう日本政府にとっても、後味の悪い内容となった。
歴史修正主義
ロシア側を率いたメジンスキー氏とは何者か。同氏は、22年の対ウクライナ交渉でも代表を務めていた人物だ。旧ソ連のウクライナ領出身者という側面も持つ。
メジンスキー氏は12年~20年にかけて文化大臣を務めた。その間、14年にはロシアによるクリミア併合があり、ロシア国内では教育や文化などの側面から、政府が愛国主義的な風潮を広める動きが急激に強まった。そのような流れを指揮したのが、メジンスキー氏にほかならない。
強硬な国家主義者である同氏は政治家としてプーチン氏に近い一方で、「ロシア軍事歴史協会」会長や「ロシア作家同盟」幹部を務めるなど、作家、歴史家としての側面も持つ。報道によれば複数の書籍を出版しており、プーチン氏寄りのロシアの国家主義的な観点で作品を発表している。一方で、西側で語られるロシア像に対しては激しく反駁しているという。
ただ、その論旨は「歴史修正主義」との批判を呼び、ほかの研究者らから歴史的な事実を捻じ曲げ、政治利用しているとの批判も浴びている。17年にメジンスキー氏は、自身が執筆した15~17世紀のロシア史をめぐる博士論文で多くの間違いが見つかったとし、ロシアの学術当局から博士号のはく奪を求められた経緯がある。
メジンスキー氏は外交当局者でもなく、政権内で重要な立場にある人物でもない。しかし一方で、ウクライナに対しロシアが支配的な立場にあるとするプーチン氏の考え方を、外交的なロジックを踏まえず相手に一方的に突きつける役割を担うには、メジンスキー氏はまさに適任だった。
無理な要求
そもそも、5月16日のイスタンブールでの協議実施は、プーチン氏が11日に一方的に提案した案件だ。ウクライナ情勢はこのころ、ロシアによる4月末のウクライナ首都キーウへの大規模攻撃にトランプ大統領が激怒し、直後にバチカンでウクライナのゼレンスキー大統領と会談して棚上げになっていた天然資源の開発をめぐる協定に米・ウクライナが調印した直後のタイミングだ。ロシアに融和的な姿勢をとっていたトランプ政権に、変化が見られた局面だった。ここでの直接協議を提案したところに、ロシア側が米側を引き留める意図がうかがえる。
ただ、実際には停戦交渉において、ロシア側は 1)外国軍のウクライナへの駐留禁止 2)ロシアへの賠償請求権の放棄 3)ロシアが併合したウクライナ東部、南部の4州からのウクライナ軍の撤退 4)4州とクリミア半島をロシア領だと承認する――との条件を提示したという。
どれも、ウクライナ側には到底受け入れられない内容だ。外国軍のウクライナ駐留禁止については、北大西洋条約機構(NATO)への将来的な加盟に加え、目下検討が進められている欧州の一部の国々によるウクライナへの軍駐留を否定することになる。このような事態は、ウクライナの安全を保障するうえで、決して認めることはできない。