暫定政権と欧米諸国は住民投票と独立宣言を批判し、本国・ウクライナの合意無しの独立およびロシアへの編入は無効だと主張しているが、クリミア政権側は、コソヴォの先例(やはり本国・セルビアの意向を無視して独立宣言し、そして諸外国もその独立を承認した)を引き合いに出して、合法だと強気の姿勢を崩さない。
このクリミアの動きを受け、ロシアのプーチン大統領は欧米の制裁強化も意に介さないように振る舞い、3月17日、クリミア自治共和国と特別市のセバストポリを合わせた「クリミア共和国」を主権国家として承認する大統領令に署名し、18日には同氏が「クリミア自治共和国とセバストポリ特別市から編入要請を受けた」とロシア上院に伝えると共に、クリミアをロシアに編入する意向を正式に表明し、クリミアのアクショノフ首相らと共に編入に関する条約に署名したのだった。
強気かつ慎重なロシア
「諦める」欧米
2008年にロシアはグルジアのアブハジアと南オセチアを国家承認し、両「国家」は事実上のロシアの属国となっていることに鑑み、当初、クリミアも同じシナリオとなるかに思われたが、クリミアの場合はそれを超えロシアに編入された。もちろん、アルメニアとベラルーシを除く諸外国はその承認を認めていないが(2014年4月現在)、欧米もほぼ既成事実として諦めている感がある。
ウクライナの危機に際し、ロシアのクリミア編入の可能性は否定できないと考えられていた一方、ロシア側に慎重な姿勢も見え隠れしていた。
たとえば、ウクライナ情勢を受けて他国領土の編入手続きを簡素化する法案の議論を進めていたロシア下院は、本来なら同法案を住民投票の前に採択すると予定していたが、採択は住民投票後に延期された。これは、クリミア編入の動きに対する欧米の反応及び制裁、そして制裁によるロシア経済への影響とそれによる国民の反応など、国内外の動向を見定めてから、得策を練ろうとしていたと考えられる。
実際、グルジア紛争の際、欧米の対ロシア制裁は極めて軽く、翌09年に米国でオバマ政権が誕生すると、同政権がロシアに対して「リセット」を呼びかけてきたこともあり、ロシア首脳陣は欧米の出方を甘く見ていた。一方、より欧州に近いウクライナはグルジアとは同一に考えられないこともあって、このような様子見がなされたと思われる。
そしてここで注目したいのが、最終目的である「編入」の前に、あえてクリミアがウクライナから独立宣言をし、ロシアが独立を承認したという体裁がとられたことだ。そうすれば、ロシアとクリミアが対等な主権国家として編入を決定したとして、ロシアが強硬にウクライナの領土を奪い取ったのではないと主張できるからだ。