木寺教授は「水平をキープすることで、平衡感覚器を通じてバランスの崩れを修正しやすい。それによって無駄に力をかけることなく、最適の方法でバランスを保てる。そのため、視覚情報が正確な上、次のプレーにすばやく動ける」と語る。逆に言えば、こうした水平感覚が乏しい日本の選手は倒れやすい。ディフェンス時に、相手のフェイントや当たりにバランスを失い、次の一歩が遅くなり、簡単にペナルティーエリア内に入られてしまった。アフリカ勢がこうした絶対的な水平感覚を身に着けているのは、小さいときからの野性的な遊び、日本とは異なり、必ずしも恵まれてない荒れたピッチなどの環境下でプレーしていることと無縁でもないだろう。
想定外に対応できなかったギリシャ戦
W杯が終わって選手たちの発言で気になったことがある。「自分たちのサッカーができなかった」と異口同音にこたえていた。
いったい「自分たちのサッカー」とは何なのか。答えが一つであると思っているのか。彼らのいう、「自分たちのサッカー」とは「プレスをかけ、パスサッカーでつなぎ、相手を切り崩し、攻め込んでいく」ということだろう。これは、ザッケローニ監督のいう「攻撃的サッカー」に一致するが、これにこだわりすぎると相手に読まれ、得点できなくなる。
典型例がギリシャ戦だ。「自分たちのサッカー」の歯車が狂ったのは、前半38分の相手選手退場という「想定外の出来事だった」と主将の長谷部誠も認める。
ギリシャは、下がって守りを固めた。日本は長友らサイドでの数的有利な形から何度も何度もセンターリングをして、ゴールを狙った。11人対10人という想定外への備えもなく、さらに攻撃はワンパターンでギアチェンジが入らなかった。ゴールは大きな壁でふたをされているかのようだった。
日本はこの試合、後半3度決定的なゴール機があったのに、それを逃した。後でメンタルトレーニングの重要性のところでも触れるが、決定機は力を入れて蹴るのではなく、いかに力を抜いてシュートするか、意識することにある。日本はどれも渾身の力を込めた、余裕のないものだった。決勝戦ドイツのMFマリオ・ゲッツエが見せた、胸トラップした後のボレーシュートは力を抜きながら、蹴った見事なゴールであることから学ばなければならない。
W杯のような高レベルの大会では、自分たちのサッカーが100%できるわけがない。なぜなら相手も研究し尽くし、それを抑えようと必死だからだ。自分たちのサッカーができないとき、どう我慢するか。どう流れを引き寄せるチャンスをものにするか、臨機応変に対応するチームとして柔軟性が必要である。ミドルシュート、ドリブルなどで、こうした状況を突破するよう練習しておくことも大事だろう。そのような選手が残念ながらいなかったことに尽きる。