英国領からの独立時からあった圧力
このようにカナダは米国と、世界で最も緊密といってもよい安定した二国関係を築いてきている。ただ、歴史的にこの二国関係に波風が立たなかったわけではなく、カナダはあまりに強大な隣国と、多くの価値観を共有しつつも、飲み込まれないよう欧州との深い関係を保つなど、常に一定の独自外交を模索してきた歴史がある。カナダが米国から圧力を受けるのはこれに始まったことではないのである。
北米13植民地が英国からの独立を目指した米独立戦争初期には、英領カナダを同様の英国支配から解放して14番目に加えるとして、米独立軍がカナダに侵攻している。この時は拠点の一つであるモントリオールを占領したりするものの、冬の戦いに敗れ撤退している。
米側にはカナダに侵攻しても、13植民地同様に、英国の支配下に苦しむ仏系カナダ人が、独立軍に味方していれるだろうという思惑があった。しかし、カトリック教徒がほとんどの仏系カナダ人は、プロテスタント教徒がほとんどの独立軍には味方せず、思惑は外れたのである。
最初の米国憲法ともいわれる連合規約にも、英国の統治を嫌うカナダ人が独立革命に味方してくれるだろうという強い思いが表れている。その第11条には、カナダが加わることを望めば、合衆国に加わることができ、すべての利益を享受することができると書かれているのである。また、加盟に当たって、他州の賛成がいらないと定められており、カナダへの特別招待状とも言っていいものであった。
当時カナダがこの招待に応じていれば、14番目の州として米国の一部となり、メキシコ以北の北米はすべて米国となっていたであろう。しかし、ワシントンやフランクリンの熱を込めた呼びかけにもかかわらずカナダの植民地人はそれにこたえることはなかった。
繰り返される「侵攻」
独立戦争が終わると、戦争中英国に共感を抱いていたロイヤリストと呼ばれた人々は、米国内で迫害され、一部がカナダに逃れた。侵攻してきた米独立軍と戦ってカナダを守ったカナダの人々と、13植民地において、英国支持ということで迫害され、家を焼かれ、財産を奪われてカナダに逃げて来たロイヤリストたちは、「反アメリカ」ということで強く結びついたのであった。
1812年に第二次独立戦争と呼ばれることもある米英戦争が始まると、米国は再びカナダ領有を狙って複数回にわたってカナダに侵攻した。オンタリオなどの国境沿いには、米国からの移住者が多く住んでおり、味方してくれると考えていたのだった。
しかし、実はその多くは、独立戦争時にロイヤリストとして米国を追われた人々で、米国に味方することはなかった。むしろ元からカナダに住む人々と結束して米軍と戦った。この時も米国の軍隊は、カナダ民兵、英軍、そして先住民の抵抗に遭い、侵略に失敗した。
それから半世紀ほど後の南北戦争直後に、アイルランド系米国人の過激派が、カナダを人質にとれば、それと交換でアイルランドを英国から独立させられると考え、カナダへ軍事侵入した。1890年代にアラスカとカナダの国境紛争時にも緊張が高まるなど、カナダと米国の間で紛争は絶えなかった。

