付け加えておくと、入院する少年たちの学力は小学校高学年のレベルで止まっていることが多い。
社会の暗部とも言える背景がそれぞれにある。しかし、どんな家庭環境や背景、理由があるにせよ、犯罪には彼らによる被害者がいることを忘れてはならない。確かなことは、法を犯したからこそ、一般社会とは隔てられた矯正施設に収容されているということだ。
だからといって、彼らに未来がないわけではない。少年院では矯正教育として、生活指導,職業補導,教科教育,保健・体育及び特別活動の5つの領域にわたって指導が行われ、社会に帰っていく。
「何を頑張れっていうんだ」
三阪の講話に話を戻そう。
「僕の夢は花園(全国大会)でプレーすることで、高校時代はラグビー漬けの毎日でした」
三阪は布施工業高校(現布施工科高校)ラグビー部員として、全国一の激戦区・大阪でライバル校としのぎを削り合っていた。
高校ラグビーの聖地と呼ばれる『花園ラグビー場』。その声援が聞こえてくるほど近くで生まれ育った三阪にとって、それは必然だったのかもしれない。
だが、高校3年生の6月。アタック&ディフェンスの実戦的な練習の最中、こぼれ出たボールを取ろうと飛び込んだ直後に三阪の夢は断たれた。
今でこそ車椅子に乗り、両手を使ってパスもキャッチも出来るが、事故の直後は首から下は全て麻痺して動かすことが出来なかった。そして寝たきりの入院生活が始まった。
「お見舞いに来る人、来る人、みんな同じことを言って帰るんです。『頑張れよ』です。『頑張って学校戻ってこいよ』とか『頑張って早く元気になれよ』とか簡単に言うけれど、今の俺に何を頑張れっていうんだ。身体を動かせないから、寝返りを打つことも出来ないし、ひとりじゃご飯も食べられない。水も飲めない。何もできずに一日中ベッドの上で、ただ天井だけを見つめて寝ているだけの俺に、何を頑張れっていうんだよ!と思いながらその言葉を聞いていました。悪気がないことぐらいわかっているのに、受け入れられませんでした」
「今では頑張れという言葉を受け入れることが出来ますが、怪我の直後は一番聞きたくない言葉でした」