「目の前に拳を作って顔の前に持ってきてください。真ん中が見えなくて周辺が少し見えるくらいです。みんながいるのはわかっても、どんな表情をしているのかはわかりません。これが僕の視界です」
視覚障害者柔道選手であり、障害者就労支援コンサルタントの初瀬勇輔は少年たちを前に自らの半生を語った。
(2月20日茨城農芸学院にて)
母子家庭で育ったことや大学生の時に緑内障で視力を失ったこと。人生に絶望し、母に「死にたい」と訴えたところ、「代われるものなら私が代わってあげたい。一人では死なせない。死にたいなら、いっしょに死のう」と返してくれた優しさ。留年してまで介助してくれた友人、視覚障害者柔道との出合いと全日本視覚障害者柔道大会での優勝、困難を極めた障害者としての就職、そして障害者就労支援の㈱ユニバーサルスタイル設立など、初瀬は淡々とした口調で少年たちと向き合った。
その雰囲気は静かで穏やかながらも、視力を失ったあとの人生は壮絶だ。
社会と正面から向き合えない少年たちに伝えたいこと
2013年2月20日茨城農芸学院(約130名)、3月11日水府学院(約60名)で、視覚障害者柔道選手として北京パラリンピックに出場し、全日本視覚障害者柔道大会で8連覇中の初瀬勇輔が講師に招聘された。茨城農芸学院、水府学院ともに茨城県の初等・中等少年院である。
(初瀬については「障害者アスリート~乗り越えてきた壁の数だけ強くなれた」の初回で取り上げています。詳細はこちら)
どちらの少年院でも年間10回程度外部の講師を招いて、様々な講座を矯正教育に取り入れている。たとえば水府学院では、自然科学に関心を高め、学ぶことの楽しさを教える「おもしろ理科実験」や自分の思いを表す「絵手紙」。地元企業の経営者による「働く喜びと企業が求める人材」や、水辺の安全を守るライフセーバーの「心肺蘇生法」、筆者も講師の一員として携わっている「ラグビー」などが行われている。
そしてどちらの少年院でも今年度初めて障害者アスリートの講話が取り入れられた。