水野和夫の『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)を読み終え、最初に思い浮かべたのは、マルサスとジェボンズの2人の経済学者だった。マルサスは18世紀末に「人口論」を著し、人口の増加のペースは食料生産のそれを上回り、食料確保のため実質所得は上昇しないと予測した。ジェボンズは、19世紀に著書「石炭問題」により、やがて石炭を使い果たすために工業は減速すると予想した。
経済学者としては偉大であった2人だが、この予測の結果は言うまでもないだろう。マルサスの時代、地球の人口は8億人程度だった。石油と化学肥料、農業機械という技術の進歩が人口の増加を支える食料生産を可能にし、地球の人口は72億人に達している。石炭の枯渇によるエネルギー供給の問題については、ジェボンズが考えもしていなかった石油、天然ガス、原子力などの登場があったと言えば十分だろう。
水野もマルサスやジェボンズと同じような勘違いをしているのではないか。水野は、『100年デフレ』(日本経済新聞社)『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(日本経済新聞出版社)などの著書以来、同じような主張をしている。簡単に言えば、中国の生産過剰などにより利潤が低下し資本主義を続けられないほどの問題が生じるが、次の制度がどんなものか分からないので、経済成長をする必要はないとの立場だ。何人かのエコノミストと呼ばれる人たちが水野の本を推薦していることから同様の意見の人は多いようだが、その主張の前提は正しいのだろうか。
「近代化のひずみ」「資本主義の終わり」の根拠は?
枝野幸男は、その著書『叩かれても言わねばならないこと。』(東洋経済新報社)で、「日本は近代化の限界に直面している。地震、津波、原発事故により、最も激烈なかたちでひずみや矛盾を突き付けられた」と書き、日本で近代化の限界が他の国より早く出たのは、「米国、フランスなどは移民を入れ、国内に常に貧しい層を抱え、それを成長の糧にすることができたからだ」と主張している。日本も2000万人の貧困層を抱えているし、移民を入れることで「近代化のひずみ」が先送りされるのであれば、日本も移民を入れるべきとなるが、それが枝野の考えなのだろうか。
枝野の主張でよくわからない点は他にもある。「中国、インドなどの新興国が追い上げるので、工業製品の輸出は望めなくなる。代わりに大きな隙間産業を狙うべき」として、盆栽をあげている。枝野の選挙区が盆栽の産地らしい。日本の輸出額は、リーマンショックの影響を受け減少していたが、それでも60兆円程度あった。主体は輸出額10兆円の自動車などだ。この輸出規模の一部を盆栽で補えると経済産業大臣が考えていたというのは、悪い冗談だ。