2024年4月21日(日)

Wedge REPORT

2014年11月11日

スケートに熱中した大学時代
教養学部に6年在籍

学生時代、アイスダンスを演じたころ(上)。猛烈に勉強した米国留学時代(下)

 井口さんは、子どもの頃から凝り性だったという。小学生のときにスピードスケートを始め、フィギュア、アイスダンスへと競技を変えた。水泳、アマチュア無線、英語へも手を広げた。英語に興味を持ったのは中学生のとき。近所に米国赴任から帰国した家族が越して来て、英語を習うようになったのがきっかけだ。その後、高校時代には米国への留学プログラムであるAFS(American Field Service)を受験。落ちはしたものの共に受験した高校の同級生と意気投合し、英語クラブを立ち上げた。冬はスケート、夏は水泳、昼は無線クラブ、週末は英会話クラブと、多趣味な高校生活を送った。

 高校3年生になるとスケートを中断した。受験勉強に励み東京大学理科一類に合格する。「通年利用できるスケートリンクがある東京に行きたい」という思いが受験勉強を後押しした。大学に入るとスケートにのめり込み、男子シングルの全日本フリー選手権で9位、一時は全日本強化選手にもなった。

 反面学業は疎かになり、気が付けば教養学部のある駒場に6年間通っていた。凝り性の素質もそのままで「コンピュータのプログラミングが面白くて、アルバイトをしていました。社会人の初任給よりもずっと多く稼いでいました」。結果的には「急がば回れ」の通り、これがジョブズ氏の伝記翻訳につながることになる。

「凝り性」だという井口さん。その探究心こそが今に活きている

 7年目にして駒場を卒業した。「本来、在籍できる年限は駒場4年、本郷4年ですが、大学が2年間を休学扱いにしてくれていました」。専門は化学工学科を専攻した。本郷に進んでから気持ちを切り替え、学業に専念するようになった。学部が終われば大学院に進むのが一般的だが、歳が歳だけに就職を選んだ。


新着記事

»もっと見る