2024年12月3日(火)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2014年11月28日

 その社会人生活の中心も、もちろんクライミングに置かれていた。

 金曜日、仕事を終え自宅に帰ると、すぐに車にキャンプ道具を積みこんで岩場に向かった。身体的には疲れるが、小林にとって岩場こそが最高のリフレッシュの場だったのである。

 その後、小林はアウトドア用品の会社に転職し、責任者としてアウトドアツアーの企画運営と自らもガイドを務め、忙しく追われる毎日を過ごしていた

「病気とどう向き合っていけばよいのか」
医療に対する失望感

 「最初に目の病気を告げられたのは28歳の時です。両目ともに視力は良かったのですが、あるとき夜車を運転していて見えづらいことに気付いたのです。あとは雨の日の対向車も見えづらくなっていました。当時は資料作成の仕事が多くて、それで目が悪くなったのかなと思っていたのですが、メガネ屋で『小林さんの眼は機械では測れないから眼科医に行った方がいい』と勧められました。それで診察を受けたところ『あなたは遺伝を原因とする網膜の病気です。現在世界的にこの病気の治療方法はなく、確実に進行していって近い将来間違いなく失明します』と告げられました」

 病名は「網膜色素変性症」。小林の視力は目の中心部から失われ始めていた。

 「失明?」「治療方法がない?」「どうして俺が?」

 医師から告げられても、すぐに受け入れることができず自分のこととは感じられなかった。

 これから自分はどうなるのだろうという不安を抱えながら、○○病院に名医がいると勧められれば診察を受けに行った。しかし「あなたの受けた診断は正しく近い将来あなたは失明します」と告げられた。

 こうしたことが何度か繰り返されるうちに心の傷が深まっていった。

 「医者は僕の目の中を覗き込んで、「治せません」と言うだけです。でも僕はこの病気とどう向き合っていけばよいのか、これから何がおきて、どうなっていくのか、どうやって生きて行けばよいのか、生きる為に何をすればよいのか、人としての自分とか、心の不安とかを覗きこんでくれる医者はいないのか? 藁をもつかむ思いでいくつかの病院を訊ねましたが、医療に対する失望感は大きくなるばかりで、過ぎて行く時間のなかで絶望に近い思いを持ちました」

 病状は進行し、自然の色鮮やかさが徐々に奪われていった。この先どうなるのか不安が大きくなっていくなかで友人にある医療機関を勧められた。小林は「どこに行っても同じだよ」と自暴自棄になったが、この医師との出会いこそが、現在の小林に繋がる希望の光となったのである。


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