「大学を卒業後、警察官と刑務官のどちらかになりたいと考えていたのですが、両眼の視力が足りないだけではなく、色の識別も難しいのでとても僕には受からないと思いました」
「この先どうしたらよいのかわからなくなってしまい、将来が見えてきませんでした。何をしても今の状態では健常者の中に入っても限界があるなと感じていたのですが、少し見えているので、このまま視覚障害者として生きていけばよいのかどうかもわからなくて……」
「その中で盲学校に通うというのが選択肢として一番良かったと思います。それが障害者として生きること、障害を受け入れたということです」
体格を活かして相撲に挑戦するも…
191cm、150kg―。日本人離れした体格とは、まさにこういうことを指す言葉なのだろう。
身体が分厚く圧倒的な質感の違いを感じさせる。事前情報ではすこぶる無口でインタビュー泣かせとも聞いていたが、人懐っこくよく笑う。そのなんとも形容しがたい笑顔にすっかり魅せられてしまった。
正木健人、兵庫県淡路島生まれ。
生まれつきの弱視のため光を眩しく感じてしまうことと色の識別ができなかった。正木にとってはそれが普通であり、日常生活においてはあまり不自由を感じていなかった。ただ、大好きなバスケットボールの試合の時は体育館のカーテンを閉めさせて下さいとお願いしていた。
小学6年生の時にすでに身長180cm、体重100kgを超えていた。性格は温厚でいつもニコニコ、マイペース。しかし、一人だけ身体のサイズが違い過ぎて、友達にちょっと触れただけでも「痛い!」と言われてしまい、担任の先生からは「おまえは身体が大きいから手加減しなきゃあかん!(笑)」と注意されていた。
その体格を活かして小学5年生で相撲の県大会で優勝を遂げるも、相撲は好きにも一生懸命にもなれなかった。