「身体が大きいから先生が出ろと言うんです。それで仕方なく試合に出ていたのですが、元々僕はバスケットボールが大好きでよく練習していました。ミニバスケでもこんなに大きいのはいなかったので楽しかったです」
県大会で優勝した翌年、正木は同じ大会で負けた。相手は正木よりも一回りも身体の小さい選手だった。
前年の優勝者であり、ひときわ大きな正木が小さな選手に負けたのだから、会場内は拍手喝さいが沸き起こった。自分が負けたことによって盛り上がったのが悔しさに追い打ちを掛けた。
小学6年生、涙の思い出である。
柔道で覚醒、篠原信一との出会い
中学では大好きなバスケットボール部に入ろうと決めていたものの、見学で見た練習量の多さに「俺、走るのが苦手だから」と諦めた。そこへ、「それなら柔道部に入れ」と一学年上の幼馴染みから誘われたので道場を覗いてみた。すると……。
「顧問の先生に熱く柔道の魅力を語られてしまいました。『そんな大きな体で投げたらかっこいいよな』なんて持ち上げられたり、おだてられたり、その気になって、じゃあやってみようかなと思ったのです(笑)」
最初は基礎体力作りから始まった。その中には当然苦手な走り込みもあった。柔道部は走らないものと勝手に思い込んでいた正木は「甘かった」と後悔したが、後の祭りだ。一年生の中でも一番遅くて、上級生から「もっと速く走れ!」と怒られるのが辛かった。そのうえ受け身の練習が痛かった。
「当時の僕はみんなについていくのに必死で、走る時も受け身の練習もいつも怒られ役でした。柔道を始めてから半年間はそういう位置にいましたので、中学3年間で一番しんどい時期でした」
正木が「しんどかった」と振り返るその半年間は、投げられっぱなしだった。特に正木を柔道部に誘った一学年上の先輩は体重60kgの軽量ながらも110kgの正木を軽々と投げ飛ばした。身体の小さな選手に投げられる正木の精神的ダメージは大きく、幼馴染みで仲の良かった先輩でも投げられるたびに悔しくてたまらなかった。
しかし、その年の12月に行われた県大会の1年生の部でみごと優勝を遂げ「俺、いけるかも(笑)。柔道って楽しいな」と思ったことから正木は変わった。