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2014年12月24日

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カツセマサヒコ (かつせ・まさひこ)

プレスラボ

1986年東京生まれ。既婚。2014年、4万人の印刷会社から5人の編集プロダクション・プレスラボに転職。総務部から編集/ライターへの業種変更をする。趣味はスマホの充電とSNS。Facebookの「いいね!」欲しさに奔走するミーハーライター。

情報の効率化によって失われる礼儀や作法

 そもそもワープロやパソコン、電話が普及するより前は、言葉を遠方に届けるコミュニケーション手段は手紙以外に存在せず、当時は季節や天候に応じた心情や季節感を文頭に記すなど、一通一通の手紙に用件以外の情報が多々盛り込まれていたものだった。

 それが情報化が進んでいくなかでスピードが求められた結果、Eメールでは「お世話になっております」や「お疲れさまです」という言葉に心情が省略され、さらに現在、個別チャットでは「お疲れさまです」すら、その存在意義を問われている。

 「早いから」「便利だから」といって新たなツールを導入すると、より効率面が重視されるのでこうした言葉が淘汰されていくのも不自然なことではない。しかし、このスピードに乗れずに姿を消していく言葉には、礼儀や作法といった「人を不快にさせない気持ち」が込められていたはずだ。それらが姿を消すことに否定的な見解を示す人もいるのではないか。たとえば、今でも手書きのメモやEメールでコミュニケーションをとっている職場の人たちの多くは、恐らく古くから築きあげてきた伝統や礼儀、作法を大切にしてきた会社に属しているのだろう。彼らが現在までそれらを培ってきたのは、その礼儀や作法にこそ、企業の倫理観やビジネスの勝機といった重要な要素が詰まっていると信じているからではないだろうか。こうした社風による感覚の相違が、社内チャットという新たなコミュニケーションツールでの挨拶をめぐる議論を呼び起こしているのかもしれない。

 懸念しているのは、チャットによるフランクなコミュニケーションが、こうした礼儀や作法を欠落させてしまうことだ。

 「挨拶のできない新人が増えた」という話は最近どこの会社でもよく聞かれる。「知らない人に声をかけられても答えてはいけない」と教えられて育った子どもたちが、自分から初対面の年上に無闇やたらと挨拶をするのには抵抗があるのかもしれないが、今後、メール文さえも挨拶などが省略されていくならば、より人と人の距離感は掴みづらくなる可能性がある。そのとき、礼儀や作法という概念もまた徐々に姿を消してしまうのかもしれない。

 「挨拶」から始まる人間関係がこれまでの社会を形成してきたのだとしたら、それを失ったとき、私たちはどのような未来をつくることになるのだろうか。 

  
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