こうした部屋の採光一つにしても、雑事を離れて異空間に身を鎮め、心穏やかに茶の湯の世界に浸るための工夫なのだろうが、「午前10時にはいらしてください」との岡田さんの意図をいまさらに納得したのである。言わずもがなに茶の湯の精神性を伝えてくれた若き茶人の心意気は、唸るしかなかった。
いよいよお点前である。心静かに待つと、襖が引かれた。舞台の幕が開くのと同じわくわく感が起こる。私たち客人は否応なく観客の眼となって演者である岡田さんの一挙手一投足を見つめることになる。
彼はこんなことも言っていた。
茶の湯は、独り点前でなく、相対する人が居ることを前提に考えられている。利休好みの二畳の小間がその証左、
「独りなら一畳あれば事足りますから」
人は他者の目に晒されてはじめて礼や作法を守り、立ち居振る舞いに気を配る。そんな人間の本性を千利休という人物は見抜いていたのか。
ところで、若き茶人の本日のよそおいは、蒸栗色のお召しの着物に消炭色の馬乗り袴、足袋は縞の柄物。畏(かしこ)まった茶会とは一味違う身づくろいだ。背筋をピンと伸ばし、丹田に力をおさめて、たおやかな所作である。
風炉先屏風は、手描染の絹糸を撚り合せたもの。先端の磁石により、秋田杉の枠に埋め込まれたステンレスに自在に着き、自由な位置の変化が楽しめる。水指は銘が「積層フタモノ」、紙の束が積まれる様子をデザインした墨色陶器だ。茶杓は自作。お薄茶碗にしても「銘々お好きなものを」と外国旅行の度の掘り出し物の様々な茶碗やカップから選ぶという楽しさ。茶人たちは利休の時代から、茶道具に国や貴賎を問わずに“侘び”を求め、中国の中世近世のものを「唐物」、朝鮮半島のは「高麗物」と呼ぶ。その伝を岡田さんは踏襲していた。私はフランス製の骨董品の、筒茶碗ふうな器を選んだ。
400余年続く茶の湯の「美意識」に魅せられて「道」を究め、広める仕事に就いた若者を前にして俗人は茶道家の御曹司かも、と勘ぐったが、大ハズレだった。