有名作家の上から目線、ネットでは通用しない
ネット上では、著名人がその権威を振りかざすような行為や発言をすることが最も嫌われる。さかもと氏の炎上で中川氏が「何がネットで炎上するか?のノウハウ」と書いているが、ネット上の記事と雑誌や書籍で最も違うのは、ネット記事のほとんどが無料で読めるのに対し、雑誌や書籍は「好んで購入した人」のみが読むものだということだ。読者はもともとその雑誌や書籍、著者のファンである場合が多いため、冒頭で書いたように「少しぐらい極端な意見でも炎上しない」。また、有名人が「私には人脈がある。それがわからない店員は損をしている」と書いたところで、その有名人の書くものを読みたい人だから特権意識として鼻につく、ということもネット上よりは少ない。
しかし、それがひとたびネットにさらされ、著者のファンでも雑誌の購読者でもない人が目にしたとき、急に有名人の「有名人らしさ」がいやらしく見えるという問題がある。ネットは有名人でなくても発言の自由がある。発言の機会があることが特権であった紙とは違うのだ。
林真理子氏は「お母さん、お願い」の最後に、被害者の母が「週刊文春」を読んでいるとは思えないと書き、さらに「雑誌を読む習慣を持つ人というのは、恵まれた層の人たちだということを私は実感しているのだ」「本ももちろん読まない、雑誌も読まない。そういうお母さんは、想像力が抜け落ちしているのではなかろうか」と書いた。繰り返しになるが、こういった言い方は「上から目線」としてネット上では特に嫌われる。
紙の記事をネット上に転載・引用するというひと手間があるという理由から(全文の転載は著作権違反だが)、紙の記事はネットよりも炎上しづらい。だが、ネット上では、作家など書き手の「経歴」や「権威」は紙ほど通用しない傾向があり、その意味でネットに転載されれば批判にさらされることとなる記事やコラムは少なくないだろう。
とはいえ、大炎上した曽野氏は、その後の取材に対してインターネットを「エレキ」と表現して「私はエレキ使わないから」と言い放ち、その後謝罪は行っていない。林氏は毎日のようにブログ(http://hayashi-mariko.kireiblog.excite.co.jp/)を更新しているが、炎上騒動に関してはどこ吹く風。林氏にとってネットでの発信は紙と同様、一方向的なものなのだろう。両氏の対応からはネットに書き込まれる「一般人の意見」など、取るに足らないと思っている態度がチラつく。しかしこの態度こそ、時代に取り残された書き手の後ろ姿のようにも見えてしまうのだ。
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