道というのは何もいらない。ただ自分の非を知ることである。一念一念非を知って、一生かかって修行するのを道というのである。仏教では知非便捨(ちひべんしゃ)(2)の四字をもって、仏の道をきわめよと説かれた。自分の心を、よくよくみれば、一日のうち悪心の起こることは数限りないものである。自分はこれでよいと思うことはできないはずである』。これを聞いて、一鼎は道を悟ったという。しかし、武士の心がけはすこし違うのである。大高慢になって、自分を日本無双の勇士と思わねば、武勇をあらわすことはできない。武勇をあらわすには、それなりの気組みがある。
(2)知非便捨:己の非を知ったのであれば、それをすぐに捨てるべきである。
自分の非を知ることはもとより大切なことである。しかし、武士の心がけとしてはそれではたりず、大高慢とならなければいけないという。ここに一つの飛躍があり、静から動への転換がある。つまり、行動するものは、絶対の自信と信念をもて、というのである。ここが単なる教訓書と違うところである。この飛躍は、大変に難しいものである。
反省をするには非を知ればよい。しかし、知るということは行動することにならない。この距離を埋めるものは信念以外にない。この信念をつくるものは大高慢の心である。
行動を起こすということは、いくつかの可能性の中から、一つだけを選び出すことである。ある人が動くと、他人はそれに反応せざるをえない。つまり、人にもあることを選択させ、決断をうながし、行動をせまる。そこに一種の緊張関係が生じる。リーダーは、この緊張に耐え、勝ちぬくだけの精神力がなければならないのだ。
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