今年4月に『沖縄タイムス』が新聞週間にあわせて「挑まれる新聞」と題して行った連載のなかに関心をひく記事があった(4月12日付)。それは沖縄タイムスから人事交流で朝日新聞に出向した記者が、東京で取材していた時の経験を書いたものだ。一昨年6月、国家安全保障会議(NSC)の創設に向けて政府内で検討が進んでいた時期のことだ。
この記者が都内にある政府高官の自宅を夜回りして、NSC構想について話を聞いていたときに、会話の流れで記者がいまは朝日にいるものの、本籍は沖縄タイムスだということを明かしたところ、それまで饒舌だった高官が「朝日記者なら必要性を話すが、君は沖タイ(沖縄タイムス)に戻る人間だ。話せない」と言い出したのだという。
記事ではこのエピソードを、<国家機密に関わる情報を、沖縄の新聞には話したくないという警戒心をあらわにした>と締めくくった。
オフレコ破りはルール違反ではないのか?
なぜ政府高官が国家機密に関わる情報を沖縄の新聞に明らかにしたくないのか。11年に沖縄防衛局長が記者との懇談の席で、辺野古移設のアセスメントの評価書の提出時期をめぐり女性への乱暴に喩える発言をしたと琉球新報が一面で掲載、局長の更迭となった事件を思い出すとその理由が分かるだろう。
この記事をめぐっては、防衛局長の発言内容もさることながら、懇談にあたって、この場での話は書かない、つまりオフレコとすることが防衛局とマスコミ各社のあいだで確認されていたにも関わらず、記事が掲載されたことが問題となった。これを琉球新報側は「それでも掲載する意義があったから記事にした」と強弁したが、これは言うまでもなく完全なルール違反である。
断っておくが、筆者はこの時の防衛局長を擁護するつもりはさらさらない。大勢の記者がいる前でこのような発言をする官僚は断罪されても仕方がない。だとしても、当時の琉球新報が行ったオフレコ発言を掲載するという判断は決して許されない。それは取材者として完全に失格だから。
先ほどの朝日に出向していた沖縄タイムスの記者は、今年4月の記事中で<政府・与党は、沖縄タイムスへの対決姿勢を強めている>と書いているが、そうではなくて、取材者としてのルールを逸脱し、白も黒とする、要は何を書かれるか分からないことに、「話したくない」と答えたのではないか。
他者への批判ばかりをしていると自分のことに目をつぶってしまう。自分自身への戒めともしたいものだ。
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